ミセレーレ(憐れみたまえ)

生きている以上、不如意なことやら腹立たしいことが次々と起こるが、そんな中、相変わらず美子が元気でいてくれるのが何よりの支えになっている。
 ちょうど78歳になったあたりから、そんな日々を送ってきたが、しかし思い返せば肉体的にも精神的にももっとつらい時期も通り抜けてきたんだ、なにを今更、と思うことにしている。
 でも感心に豆本作りだけは途切れずに続けている。たまったものは適宜さばいている。先日は平成ふるさと講座(だったと思う、主催がメディオス・クラブなのに岩本先生と西内さんにすべてお任せして、講座名さえ忘れている、恥ずかしい)の参加者への連絡郵便で60冊ほど拡散してもらった。
 このあいだも、仙台の兄神父が主宰する聖書研究会のメンバーであるK・Nさんを通じて何人かに豆本を差し上げて宿主になってもらったが、そのK・Nさんが終戦時、陸軍士官学校から無事復員したお兄さん(その後若くして病死)の思い出を読ませてもらい、テルツァーニの『反戦の手紙』や読者投稿を集めた『戦争』(途切れ途切れに読んでいてまだ読み終えていない)と合わせて、さらに反戦への思いを強める力をもらった。
 そしてその文集と一緒にいただいたルオーの版画集『ミセレーレ』(宮城県美術館発行)を今日改めて手に取り、それが反戦への強いメッセージが込められた作品であることに遅蒔きながら気づいたのである。ルオーはこの作品群を第一次世界大戦の衝撃から発想し、当初「戦争とミセレーレ」を総タイトルとして考えていたようだ。個人でその「ミセレーレ」全58点をすべて所有しているのは稀らしいが、大阪在住の佐藤吉重さんが所有し、初め「ひろしま美術館」に委託していたが、東日本大震災のあと、東北の人たちを力づけるため宮城県美術館に寄贈したそうだ。私は美術館には行けないが、どなたかぜひ実物をご覧になっていただきたい。
 その版画集だが、今日の午後、つい暗い方へ傾きそうな自分を叱咤激励するためにも、ただの白い表紙だったものを少し厚手の紙で補強し、さらに豆本用に取っておいた布をその上に貼って、ちょっと豪華な美術本に仕上げた。
 ついでに少し早めにお知らせすると、来年はスペインのサラマンカ大学創立800周年と日本・スペイン友好150周年(つまり両国が再度友好関係を結んでから)が重なるので、スペイン大使館とサラマンカ大学がいくつか記念行事を企画しており、それに執行草舟さんの戸嶋靖昌記念館が参画することになっていて、サラマンカと東京でウナムーノ(かつてその大学総長であった)と戸嶋靖昌を顕彰する展示会の企画が進行中。そしてその一環としてだいぶ前から絶版になっていた拙著『ドン・キホーテの哲学 ウナムーノの思想と生涯』が三篇ほどの論考を加えて、執行さん監修で復刊されるという嬉しいニュースもある。実は先日、執行さんが書かれたかなり長文の「復刊後記」のゲラを学芸員の安倍さんが内緒で見せてくれたのだが、自分がこれほど高く評価された経験がないのでついつい舞い上がってしまった。長く生きているとこういう喜びも味わえるということだ。
 いや話が自分のことに逸れてしまったが、ルオー版画との関連でぜひお伝えしたかったのは、その記念行事に花を添えるもう一つの企画、すなわちウナムーノの詩集『ベラスケスのキリスト』の翻訳である。訳者は安倍三﨑さん。実はもし彼女から何か聞かれたら困るな、と思いながら、それでも一応原著を目の前に置いて時々読んではいるが、正直私には歯が立ちそうもない。ハビエルさんに助けてもらえるそうなので、実は一安心。
 いやいや肝心なことは、ルオーの『ミセレーレ』の根本主題がキリストの受難であるように、このウナムーノの詩集もまたベラスケスの十字架上のキリストを主題にしているということで、おそらく戸嶋靖昌さんが愛読していたことを知っている執行草舟さんの強い願いがこの企画に繋がったんだろうと思う。この機会にむかし恩師・神吉敬三先生と共訳したウナムーノの『キリスト教の苦悶』も読み直さなければ。
 ともあれ北朝鮮のミサイルが何度も日本上空を飛んでいるというときに、豆本作りなど、たとえ反戦・反核のメッセージとは言え、あまりにも無力な抵抗と思わぬでもないが、しかしルオーの版画から霊感を得たりウナムーノ思想をさらに深く追求することによって、我が平和菌の繁殖力と浸透力のパワーアップを目指して頑張りたい。

 書いているうちに少し元気が出てきたようだ。

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

ミセレーレ(憐れみたまえ) への9件のフィードバック

  1. 佐々木あずさ のコメント:

    「ミセレーレ」に込められた意味を初めて知りました。フェイスブックで、先生のモノディアロゴスをシェアさせていただきますね。ありがとうございます。

  2. 阿部修義 のコメント:

     先生は喜寿を越えられ、生涯学問研究に人生をささげられて、その弛まない研鑽を通じて人間の素晴らしさ、愚かさ、エゴ、二面性など人間というものをあらゆる面から考えに考え抜かれたと私は思います。一方、世界は科学技術の飽くなき欲望の赴くまま核弾頭のような恐ろしいものまで作り出し、わが国も、まさに今、その脅威に四六時中悩まされています。

     確かに豆本に核弾頭を直接的に壊滅させる力はありません。しかし、豆本を一つ一つ先生ご自身がたいへんな手間をかけて丁寧に作られ、それを決して休むことなく続けられていること、それが何を意味するかを私たちは謙虚に、真摯に考えるべきではないでしょうか。モノディアロゴスの中で私が考え続けている一つの言葉があります。

     「人間にとって貴重なものはすべて、うっとうしいものです。」

     この「うっとうしい」という言葉は、人間が生きていくうえで確かに障壁なものであり、苦痛なことです。しかし、欲望の赴くまま生きていれば隣国の三代目の若大将のように、なんの苦労も苦難も知らずに国のトップになってしまった人間が行きつくところは、エゴを貫徹するために自国の国民の生活も省みず核の脅威を隣国に見せつける傍若無人な振る舞いを繰り返すだけで、いずれ惨めな末路になることでしょう。わが国のトップも三代目ですから困ったものです。やはり、人間は苦労をし苦難を通じて人は人間になるんだと私は思います。これらの三代目とムヒカさんとの人間としての重みの違いも、その一点を通過したかによるところが大きいと思います。先生の言葉と豆本の意味には、そういうことも含まれているように私は感じています。ヒルティも『幸福論』の中でこう言ってます。

     「若い人が困難な試練をまったく受けることなしに、また、生来の利己心や虚栄心を根こそぎに捨て去らないうちに、えらい地位につくことは、非常に危険である。そういうことから、たいていの人生行路の失敗が生じる。」

  3. 守口 毅 のコメント:

    ペルーに旅をして、南米のスペイン語に触れて来ました。その大半は理解できていないのですが・・・・・。インカ帝国をあまりにもあっけなく侵略・征服したスペインは、インカの精緻な石組みの上に、太陽の神殿をすべて破壊し、カテドラルと修道院に作り替えてしまい、金銀などの財宝は全て故国に持ち帰るという暴挙を展開したのですが、約500年経ったいま、インディヘナの人々と不思議な調和を作り上げているという印象をもちました。これも、世界覇権の一番手を走り続けなかったスペインの落ち着きというか、田舎くささというか・・・ペルーを通してスペインの良さを見る気持ちになりました。ルオーの「ミゼレーレ」は若いうちから注目してきました。ウナムーノの「ベラスケスのキリスト」。安倍さんの翻訳、大いに期待して待ちたいと思います。

  4. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    守口さん、ペルーを旅してきたんですか。うらやましいな。私も一度は中南米に行きたかったけど、その機会がありませんでした。
     それはともかく、自国スペインの侵略・征服を国王臨席の場で激しく難詰したラス・カサスやビトリアがいたことを、アングロ・サクソンの北米侵略・征服と比較して改めて高く評価すべきです。確かに残虐な侵略でしたが、しかしメキシコなど国民の大半がメスティソ(白人とインディオの混血)であるのに北米の先住民族が峻別され囲い込まれて混血など思いもよらなかったことに両者の違いが明瞭に表れています。
     むかし、自分たちの領土を守ろうとしたインディアンたちを騎兵隊が蹴散らすのを拍手しながら迎えた西部劇映画の愚劣さにハリウッドが気付いたのはずいぶん後のことでした。でもあの白人至上主義は決してなくならないことは今のトランプ大統領を見れば明らかです。

  5. Chaki のコメント:

     仙台のK・Nの娘です。ミセレーレの画集をお送りした結果が、思いがけずこのような形で返ってきたことに、母は感激している様子です。画集を通じて、心も通じることができるのだな‥と、母を見ていて思いました。
     宮城県美術館で現在開催中のルオー展には、ミセレーレの他にも色彩豊かな作品が多数展示されていて、観ているとなぜか胸にこみ上げてくるものがあります。ルオーが絵に込めた思いが、訴えかけてくるのでしょうか。
     いつの時代も、平和を願う人がいて、争い合う人もいて、自分の居る時代に否応なく押されながら、人は生きているのではないでしょうか。
     星野道夫のエッセイ集・『旅をする木』の「キスカ」という小文は、戦時、奇跡のキスカ島脱出を果たした約5.500人の日本兵の一人・菅野さんと、日本軍撤退に気付かぬまま、もぬけの殻になったキスカ島奪回に上陸した6.550人のアメリカ兵の一人・ジョージが、キスカ島の島影を前に、甲板で肩を抱き合っているシーンから始まります。キスカ島で戦後、半世紀たってから行われた日米合同の小さな慰霊祭について書かれたエッセイです。

    『(キスカ島脱出の)四日前、一機の米戦闘機が撃ち落された。駆けつけると、中で若き米少尉がすでに死んでいる。果敢な戦いをしたその兵士のために、そこに集まった五十人の日本兵が十字の墓標を建て、英語を刻んだのである。
    「青春と幸福を母国のために進んでささげた勇敢な英雄ここに眠る」
     鬼畜米英の当時、それは決して口外できる行為ではなかったらしい。その墓標を建てた一人が菅野豊太郎さんだった。手を合わせながら、「間もなく自分たちも死ぬ。あの世で一緒に語り合おう」と話しかけたという。』

     戦時中でさえ、それも兵士であったにもかかわらず、人間らしい心を失わなかった人々がいる。また、50年もたってから、70代、80代になった元兵士たちがわざわざアリューシャン列島に出かけて行った。星野氏の簡潔な文章から、平和や幸福について様々なことを考えさせられます。
     ルオーも星野道夫も残念ながら物故者です。が、今生きている私達にも何かできることはきっとあるはずです。そう信じて、小学校の読み聞かせボランティアに参加しています。論理が飛躍しているように聞こえるかもしれませんが、子供たちがすくすく育つこと、本に親しみ想像力を育んでいくことが、ひいては平和な世の中につながっていくと思うのです。豊かな心と言葉を持った子供たちは、きっと平和を求めることでしょうから。
     もっとも、普段はただただ楽しくて、嬉しくて読み聞かせや語りをしているだけなのですが、たまにそんなことを考えます。母と一緒に読書ボランティアをしていることも、平和菌の胞子を飛ばすことにもつながっているかもしれません。いつか、どこかで、立派な平和茸がそだちますように‥

  6. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    chakiさん、初めまして。
     キスカ島の話は知りませんでした。素敵なお話を紹介して下さり、ありがとう。これからも時々談話室にお寄りください。多士済々の常連がお待ちしてます。
     星野道夫のエッセイ集・『旅をする木』、アマゾンで安い古本を見つけたので早速注文しました。

  7. 佐々木あずさ のコメント:

    呑空庵の平和菌の豆本、浜田桂子さんの手に収まる!「だれのこどももころさせない」の絵本の作家さんです。愛ちゃんの学校の図書館にあるかなぁ。お薦めの絵本です!ご報告まで。

  8. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    佐々木あずささん
     浜田桂子さんのこと教えてくれてありがとう。彼女も宿主になってくださったそうで、これもありがとう。彼女の絵本、いつか読んでみましょう。愛の学校にはあるかも知れません。聞いてみましょう。

  9. Keiko and Chaki のコメント:

    我が家の小さな庭には秋名菊や黄菊などが咲きほこり、深まりゆく秋を感じております。
    初めて投稿のKeiko(Chakiの母)です。どうぞよろしく。
    9/25~10/2までに、親しい友人・知人に「平和菌の歌」24冊配りました。

    そのうちの一人、親友M女史は5冊引き受けてくれました。彼女は地元の幼児教育界の女傑です。
    M女史曰く、「小さな文字に大きな意味、深い思いを込めた歌詞、すばらしい」と。
    二人で「平和菌の歌」を朗読し、厚く語り合った3時間でした。
    彼女は「平和菌の歌」「風景と物語の創造」を愛読しています。

    Chakiは、私を補ってくれる頼もしい娘です。よろしく!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください