ルールに則ったクリーンな戦争?

このところアメリカ兵によるイラク人捕虜への虐待事件が話題になっている。裸にされて積み重ねられた捕虜たちの側で、男性兵士と女性兵士が肩を組んで笑っている写真などを見ると、アウシュビッツ捕虜収容所のことが連想され、人間の罪障性の果ても無い深淵を見せられたようで、ただただ唖然とするばかりである。
 さっそくテレビ解説者たちの間で、ジュネーブ協定違反だの、アメリカ軍の軍律がどうの、とかまびすしい議論が沸き起こった。でもそれはちょっとおかしい。つまり今度のアメリカ兵たちの所業はたしかにヘドが出そうな醜悪かつ残酷なものではあるが、でももともとこれは戦争という醜悪で残酷な現実からいわば必然的に生み出されたものである。あのアメリカ兵たちだって、兵舎の外に出た途端、イラク人に狙撃されたり、走行中の車にミサイルを撃ちこまれ、一瞬のうちに肉片となって空中に飛び散る危険にさらされているのだ。つまり彼らとて、絶えず緊張と恐怖に宙吊りにされたような異常心理の中で生きているのである。言いたいのは、だから彼ら虐待兵士は許される、ではなく、戦争そのものが、たとえどのような法概念を持ち出して強弁しようが、不正であり許されない、ということだ。
 フランクルの『夜と霧』にも描かれている通り、そういう極限状況にあってもなお理性的であろうとする人間がいて、われわれは辛うじて人間に対する希望を失わないでいるが、しかし戦争という異常な状況の中で正気であり続けるのは至難の業である。この平和なニッポンでも、戦争中、敵兵のみならず民間人をも殺害したり虐待したりしたおのれの忌わしい過去の悪夢に、夜半脂汗をかいて目覚める、「善良で温厚な」老人たちの数はそれほど少なくはないはずだ。戦争を知らずに「普通の国家」を主張する「若手議員」たちのなんと勇ましく愚かなことよ!
 要するに、ルールに則ったクリーンな戦争なんてあるか!ということだ。今日のテレビでは、イラク人をヘリから狙い撃ちにする映像が公開され、怪我人をも射殺したことに非難の声が上がっている。なら、ピンピン生きてる敵を殺すことは許されて、数分後にはおそらく死んでいく怪我人を殺すのは許されないのか?そんな子供にも分かる道理を真面目に議論していること自体、どれほど愚かしくも非人間的なことであるか、何故だれも言わない?

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク