半世紀ぶりの再会

バッパさん今日はセンターに行かなかったので、ゆっくり昼寝でもと思った途端、インターホンで呼び出される。眼を洗いにM眼科に歩いて行ってくるという。かなりの距離のところにあるので、車で送るしかない。眼科医院の前で下ろしぎわに、千円渡して帰りはこの間のように歩きではなく、必ずタクシーを使うように言ったが、果たして守るかどうか。
 帰宅後やっとベッドにもぐりかけた途端、今度は小高浮舟のT君からのケータイで、今日が今年度最初の講座で、もう十人近く聴講生が集まっている、という。ええっ、聞いてないよー。新しい講座については、まず打ち合わせをするはずでなかったの?確かに今日は五月の第二土曜日だけど……ともかく今から出かけるから、と言い、急いで旧国道を車を走らせる。幸い十五分遅れで到着。生涯学習課の新しい課長さんのK氏がまずご挨拶。続いて私の番。
 さて…実はこの講座をどのようなものにしていくか、まだはっきり決めていないんです。たとえば皆さんのうちで埴谷さんの作品、あの『死霊』を少しでも読んだ方はいらっしゃいますか?あゝお二人ですか。私の予想と大体合っています。それではですね、大上段にかまえて埴谷雄高論を目指すのではなく、たとえば三十八年前、この小高町の岡田にある「般若家代々の墓」を埴谷さんが訪ねたときのことを書いた「無言旅行」を読みながら、ゆっくり搦め手から埴谷さんに近づいてみましょうか。つまりあの「般若峠」から出発してみましょうか?(そのとき聴講生の一人が、般若家と同じく土着のサムライであったU家のご子孫であることが判明)。
 話をしながら十人ほどの聴講生を見渡していくうち、どうも気になる人が、それも一人でなく二、三人混じっている。えっ、もしかして私と血のつながりがある人?そのうちの一人が、質問をしながら名乗ってくれた。そうだ、民ちゃんだ!小五の秋から翌春にかけて小高に住んでいたころ、毎日のように遊んだ民子さんである。講義のあとの再会(なんと五〇年ぶりの!)で分かったのは、お隣りに坐っていたのがご主人で、民子さんはいまダンスの先生とか。そしてその前に坐っていたのが、長い間再会を願っていた同い歳の又いとこの一男ちゃんだった!そしてその横のご婦人は、いつもやさしいおねえさんだったセツ子さんなのだ! こんなことってある? 十何人かの聴講生のうち、親戚が四人もいるなんて!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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