先ずは一昨日のこと。
緊急入院した娘は、結局その日(二十五日)のどん詰まり、十一時五十九分、それも急遽帝王切開に切り替えて、ともかく無事に三千二百グラムの男児を出産した。健君からの電話は、日が変わって一時過ぎだったが、それによるとかなり大変な時間を過ごしたようだ。でも母子とも元気です、ちょっと電話代わります、と言う。術後でまさか娘ではなく、K君のお母さんと思って話し始めたのだが、「なに敬語使ってるの、私よ」と娘の声。しどろもどろに「よくやった、よく頑張った」と繰り返すのみ。受話器を置いてから急いで百科事典を調べる。帝王切開は一回きりで、以後子供が産めなくなると心配したからだが、現在では出産の五~六%が帝王切開で、二度三度くらいの出産は可能と知り、一安心。ともかくあの子は小さいときから華奢だが我慢強い子だった、などと妻はしきりに興奮してなかなか寝付かれない様子。
次いで昨日。孫(!)に会いに行くのは、娘が退院する来月四日以後と考えていたが、娘はその前に来て欲しいらしい。それで結局、今度の日曜に日帰りで行くことにした。心配だったクッキーも、T獣医さんが預かってくれるという。ただ日帰りといっても早朝出発なので、土曜の夕方から月曜の午前中までお願いすることにした。他所で夜を過ごした経験などない老病犬(最近白髪が急速に増えた)にはちょっと辛い二日間になりそうだが、我慢してもらうしかないだろう。
午後、予想より早くボリビアから無事フォルクローレの楽器が届いた。それら楽器も動員して、今日〔二十七日〕の夕方、第一回の練習会が行われた。ギタリストのS氏、陶芸家のOさん、それにメディオスの会員や新参加の高校生三人が加わり、下の部屋が満杯になった。さらに途中、岩橋ご夫妻が飲み物を持って応援に来られた。
次回からは文化センターなどの部屋を借りなければならないだろう。ともかくこの二日間のてんやわんやのためか、皆を送り出した後どっと疲れが出た。でも今晩も「日録」を覗いてくださるごくごく少数の奇特な方々のことを考えると、老体に鞭打ってでもと頑張ってみました。いいよいいよそんなに無理しなくたって、別に期待してるわけじゃないから、という声が聞こえてきますが、まっいいじゃないですか、本人はその気になってるんで。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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