その日の朝

二年ぶりの東京はやたら暑かった。といって昨日は全国的に真夏のような一日だったようだが。最初から波乱含みの一日だった。五時半にタクシーが来るというのに、目が覚めたのはその十五分前。一瞬頭の中が真っ白になった。ケータイと目覚し時計をセットしていたはずなのに、その両方ともが機能しなかったのだ。後から知ったのは、まずケータイは時間設定をしたのに「停止」のままだったこと。時計の方は、どうやら無意識裡に止めたらしい。
 火事場の馬鹿力のようなものが「機能」したようだ。パニック状態の妻に向かって「大丈夫、大丈夫、化粧などは電車に乗ってから」などとしきりに声を出して誘導し、猛スピードで服を着て、猫たちのご飯と水を用意し、電気や火の元(灯油ストーブは使ってないが念のため)のチェック、土産など持ち物の確認など、合計十分で完了。下に降りてバッパさんに留守を頼んで玄関先に出た途端、音もなくタクシーが接近。余裕である。
 いや、正直言うと、目が覚めて時計を見た時点で、こりゃ駄目だ、と思い、一電車遅らせる覚悟をしたのである。でももしかして間に合うかもしれないと、半信半疑のままエンジンをフル回転させたまでなのだ。もちろん兵隊の体験はないが、起床ラッパで飛び起きて真っ暗な営庭に整列する兵隊のような「神業」をやってしまったという感じ?(今風に語尾を上げて)。
 確かに幸先は決して良くはなかったが、おかげさまで(?)その後は全て順調、可愛い初孫に面会したり、旦那とお父さんに若夫婦の新居に案内してもらったり(娘と孫はまだ産院)、徒歩十数分のところにある旦那の実家で休んだり、近くの寿司屋でご馳走になったり……
 でもやっぱり強行軍だったことは間違いなく、上野発七時の(名ばかり)特急に乗って、あとは終着駅まで寝てこれたはずなのに、神経がテンションを上げたまま下がってくれず、どんよりした目を開けたままぼんやりしていた。それにしても、日ごろ超トロクサイ妻がなんとか付いてきてくれたのは収穫といえば収穫。やればでっきるじゃなーい。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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