戸嶋靖昌「受難」

※以下のものは右「談話室」への阿部修義さんのコメントですが、せっかくですので、ここに全文を移させていただき、合わせて画集から「受難」の一部をコピーしました。もちろんまだ会期中なので、スペイン大使館でぜひ実物の全体をご覧になってください。(佐々木)

貞房先生

10月2日(火)「受難」再訪。

この絵を見るためにここにやって来ました。戸嶋氏のプロフィールを見ると1974年にスペインに転居されたとありました。この絵は彼がスペインに渡って間もなく筆を執った絵です。先ず目立った特徴は、他の絵が黒を基調に描かれているのに、この絵だけがオレンジ、茶、淡い黒、そして白で配色されています。中央に上半身だけの男の横顔があり、その背後に大きな人間の両手だけが描かれています。右手は男の頭の上に、左手は男の肩越しから垂れ下がっていて拳を握っているように見えます。瞑っている目から悲しみの表情が醸し出され、背後の両手は、それとは対照的に慈愛に満ちた手の表情をしています。この男は戸嶋氏本人ではないかと何の根拠もありませんが私はそう思いました。生きることへの、ある意味、深い絶望の中から何かを諦観した男が、打ち砕かれた自我の先に救いの神であるような大きな両手が男をやさしく抱えるように出現するこの絵を通じて、「受難」を超えたところに「希望」が存在することを示唆されたように私は感じます。受付で、再訪の旨伝えると、この「受難」の絵のポストカードをもらいました。そこに、執行草舟氏の言葉が添えられていました。

「いのちが沈むとき、人は根源的実在と出会う。」

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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戸嶋靖昌「受難」 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

    「文学の上でも、まず苦難なくしては、決して偉大なものや真に善き作品が作成されたことがない。苦難がはじめて人間の中になみはずれた思想をもたらしてくれる。テニスンやカーライルはそのような例であり、ダンテはさらに大なる実例である。これが欠けている著名の詩人がいるが、彼らの言には真の力がない。『ヒルティ著作集8 悩みと光』より」

     戸嶋氏の作品に共通しているものがあるとすれば、人生の「苦難」を徹底的に戸嶋氏自らが真正面から向き合って、そこから発せられた彼の魂の感動に基づいて一つ一つの作品を創作されたことで、それぞれの作品の中に真の生命が宿っているようにヒルティの言葉を思い出して改めて私はそう感じました。

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