ひさかたぶりのバッパさんの登場である。朝方、「くにみの郷」から電話が入った。バッパさんになにごとか起こったのか、と聞いてみれば、どこも悪いところは無いのだが病院に連れて行け、とおっしゃる、それでとりあえずお家の人に聞いてみますと答えたので、申し訳ありません電話を代わります、話していただけないでしょうか、との電話。
実は昨日の訪問の折にも、そろそろ病院さ行きたくなった、などと言うので、こんこんと聞かせたばかりだった。「えーか、病院ちゅうとこは行ぎたくなくても行かなっきゃなんねーとこでー、行かなくてもえーときに好き好んで行くとこじゃねえんだど。そーでなくてもバッパさんみたいな老人が大勢押しかけるもんだから、日本の医療制度はパンク寸前なんだど」
医療制度云々のくだりは、もちろん誇張である。日本の病院はもっと老人たちの世話をしてもらいたい、とさえ思っている。ただし家のバッパさんに限っては、ありがたいことに今のところどこも悪いところはない。さすがにひところより歩行は難しくなってきたが、押し車でゆっくりなら歩くことができる。
これまでは月一度、私自身が近くのクリニックに定期健診に出かけるので、その際一緒に連れて行っていたが、昨年末から、担当医の勧めで、風邪が流行っていたこともあって、薬だけ出しもらっていた。だから半年近く行っていない。
施設のスタッフの話だと、このごろしきりに、死んだとき自分は何の病気で死んだか知っておきたいので、病院に連れて行け、と言っていたそうだ。病んでいるところが無い(担当医の見立てでは腎臓が少し弱っているので水分を多く摂るようにということだけ)のが逆に不安だ、というぜいたくな話である。
しかしなにはともあれ、あと二ヶ月ちょっとで98歳になる。偉いものである。90歳を越えた帯広の弟が、毎日パーク・ゴルフやダンス、それにカラオケへと車で遊びまくっているので、この姉弟は長寿の星の下に生まれているのであろう。私自身はとてもその歳まで生きていける自信はない。せいぜい80歳までたどり着ければ御の字。いや美子のためにあと4歳がんばって84歳まで生きられたら嬉しい。
美子は認知症になる前から、どうも数に弱く、88ぐらいまで生きたいね、でそのとき美子は何歳だ、と聞くと、まじめに88と答えていたことを思い出す。つまり4歳の差はいつまで経っても変わらないことがどうしても理解できなかったらしく、一緒に死ぬことは同じ歳で死ぬことと思っていたらしいのである。そのころは縁起のいい88の米寿を理想としていたが、最近ではそんなに欲張らず目標を4歳下げて84に、美子は80になれれば文句は無い、などとぼんやり考えている。ちょっと無理かな。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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