『弱い神』(三)

昨日からどれほども進んではいないのだが、しかし徐々に確信のようなものを感じている。つまり『弱い神』は小川国夫の代表作となるだけでなく、日本文学にとっても無視できない貴重な一里塚となるであろう、との予感である。
 実は、読み始める前までは、この作品は内容も構成もまだ未完成であるだけでなく、地盤のゆるいふかふかの作品、言って悪いが小川ブームに便乗したやっつけ仕事ではないか、と思っていた。私が手にしたのは第2刷、つまり4月初めの初版からわずかひと月ちょっとで版を重ねたことになる。このスピードは、小川さんの本の中でも異例の売れ行きではないか。つまりみごと編集者や出版社の目論見どおり事は運んでいる、と下種のかんぐりをしていたわけだ。嬉しい誤算であった。
 相当に暴力的な事件が点綴していることも手伝ってか、ぐんぐんと読者を引き込んでいく迫力がある(それにしては私の読み方は一向にスピードが上がらないが、それは作品のせいではない)。要するに「語り」の迫力は予想以上なのだ。地の文がないことで、作者という中間者が消え、話し手が直に読者の心に語りかけているように思えるからではなかろうか。小川さんがこの文体・話法に自信を強めていたであろうと容易に想像することができる。確かに成功している。
 先日、彼は視覚の作家、眼の人から聴覚の作家、耳の人への変貌を遂げたといったが、正確に言うなら、彼は聴覚とか耳のレベルよりもっと内部の感覚、いささか神秘主義めいた表現だが、魂の文体を手に入れたと言ったら大げさだろうか。先ほど暴力的な事件と言ったが、行間からむせかえるような血の匂いがしてくるのは、語り手たちが近代的知性とは無縁の、言うなれば原始的知性に突き動かされ、そして互いに共鳴音を発しているからではないか。
 そのような原始性は、もともと作者に、あるいは大井川流域の風土にあったものなのか、それとも長年にわたって旧約聖書に親しんだ結果、作者に固有のものとなったのか。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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