『弱い神』(四)

長谷川郁夫氏による「素描」(『故郷を見よ 小川国夫文学の世界』、静岡新聞社、2007年)によれば、小川国夫の出自はこうなっている。

 「昭和二(1927)年十二月二十一日、静岡県志太郡藤枝町(現・藤枝市)に生まれた。藤枝は旧東海道の宿場町。生家は祖父母が興した街道沿いの商店で鋼材、製紙用資材、肥料などを扱っていた(八年、藤枝駅近くの青島町に移転)。父・冨士太郎、母・まきの長男。二歳上に姉・幸子。二年後に弟・義次が誕生する。幼児期には父の病気療養のため、静岡市西郊の用宗海岸に住んだ時期もある。」

 『弱い神』が彼の家系をどの程度までモデルにしたか、また地理的環境をどこまでなぞっているかはいまのところ不明だが、私の予想では家系を含めた人的環境も、また地理的環境も、実際のものからかなりの程度借りてはいるが、しかし全体としては彼が作り上げた架空の世界であることは間違いない。つまり登場人物たちが生きているのは明治の終わりから大正の初めにかけてであるが、その彼らの生活空間は、作者が20年近く歳月をかけて造形していった架空の町ではないかということだ。
 ちょうどフォークナーのヨクナパトーファ郡が、そしてガルシア・マルケスの蜃気楼の村マコンドがそうであるように、作者の想像力が大きく羽ばたくために、作者の頭蓋のなかに描かれた架空の土地だということである。
 登場人物たちの相関関係をメモした紙片は、さらにふくらんできたが、これからは作品の舞台地図を描いていく必要があるのかも知れない。今日も雑用(といっても夫婦が人並みに生きていくための必要不可欠の雑用も含む)の合間に読み続けたが、この作品は急がずじっくり読んでいっても感興が損なわれる気遣いはなさそうだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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