ダニエル・ベリガン神父のこと

生まれつき貧乏性なのか、昨年秋から始めたインターネットも、時間の経過とともに料金が加算されるというタクシー乗車賃のようなシステムにどうしても馴染めず、ドキドキしながらネットの海の水際でポチャポチャ遊んでいた。ところがこの三月の相馬移転と同時に ADSL という有難いものを使い始めて、ようやく料金加算システムの魔手から逃れ、水際から少し先まで泳ぐようになった。おかげで、この数ヶ月のあいだ、たくさんの新しい友だちができたし、思いもよらぬ出会いや発見が続いた。そのうちの一つに、山梨・秋山工房のミチルさんを介して故ジョゼフ・ラブ神父との劇的な再会があった。彼女からいただいたラブさんの『夜を泳ぐ』(一九九一年、リブロポート)がその時以来机の上に乗っている。静岡県伊豆松崎の雲見という漁村に住む平太郎少年の一夜の海中冒険を美しい水彩画と散文で綴った不思議な絵本である。
 本と一緒にミチルさんがくれたラブさんの絵はがき数枚の中に裸の少年を描いたデッサン画がある。平太郎のモデルになった少年ではないかと思われる。思春期前期の少年の裸が実になまめかしい。膝から上の裸像だから当然性器が描かれているが、なまめかしさは単にそこから来るのではない。おそらくそれは少年を通して日本文化や日本人に対するラブさんの深い愛情が滲み出たものだと思う。関心のある方はラブさんの実作品などが展示されているネット・ギャラリーがあるので訪ねていただきたい(JOSEPH LOVE ART GALLERY)。
 そして先日とつぜん、ラブさんとの古い約束を思い出したのだ。急いで引っ越し荷物を探し回り、ようやく二冊の本と訳稿一束を見つけた。著者は両方ともD. ベリガン、そして訳稿はそのうちの一冊を私が訳したものである。D. ベリガンはラブさんと同じくアメリカのイエズス会士であり、徴兵カードを燃やした廉で逮捕されるなど反戦運動家としても有名な詩人である。彼の『ケイトンズヴィル事件の九人』は有吉佐和子訳で出版されている(新潮社)。訳稿のある方は九編からなる一種の現代教会批判論であり、ラブさんが強く共鳴して私に翻訳を勧めたものだ。なぜ手許にそのまま残っているのか。原書の出版社マクミランと日本のカトリック出版社との折り合いがつかないことに嫌気がさして篋底にしまい込んでしまったのだ。ラブさんのためにもこれをなんとか生かす道を考えなければ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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