あやうい均衡

いまさら不服を言うつもりはないが、千字以内というのは時には辛い制限である。実は昨日、ラブさんが描いた平太郎少年のことから別の方向へと話を進めるつもりが、字数のことを考えて方向転換せざるを得なくなり、「なまめかしい」などという中途半端な言葉を残したままにしたことが気になっているのだ。もともとモノダイアローグなんだから言いっ放しが許される、と言ってはみるものの、やはり気になる。と言っているあいだも今回も字数が…単刀直入に言おう。裸の少年を描いたラブさんのあの絵を見て、ドキッとしたのだ。
 文学にしろ美術にしろ、芸術の世界を極めればきわめるほど或る危険水域に近づいて行く。つまり日常的な常識から始まって果ては社会性そして人間性に至る人間的領域があるとして、その境界線を越え出る危険性が生まれるのである。教科書風に図式化すれば、芥川龍之介『地獄変』の良秀のように、眼前で娘が焼き殺されながらも屏風の絵を描きたがったような倒錯の世界に近づいてしまうのだ。
 ラブさんの絵を見てドキッとしたのは、もしかして私の過剰反応かも知れない。でも少年のポーズ、その表情に一種の不良性 (?)があって、それを凝視するラブさんの目はけっしていわゆる聖職者の目ではない。もちろんこれはラブさんを批判しているのではない。もともと聖職者であることと芸術家であることを両立させること、ましてや統合することは至難の業である。キリスト教史において両者を両立させ、しかも破綻を来たさなかった例は極めて稀れ、というか絶無と思う。いや二流どころではたくさんの芸術家聖職者はいたが、結局は二兎を追う者は一兎をも得ず、となる(陰の声: 今回も本題に近づくのが遅すぎるぞ!)。
 ここで問題をさらに難しくしているのは、宗教の世界もまた、極めればきわめるほど、やはり危険水域が待っていることである。別にここでオウム真理教のことを言うつもりはない。しかし宗教の世界にあって、ああした傾斜は異例のことでも例外的なことでもない、ということである。キリスト教であれ仏教であれ、いわゆる大宗教の凄いところは、危険水域への傾斜に歯止めをかけるマニュアルをいくつも持っていることである。しかし、である。宗教自体は本来的にその危険水域すれすれのところを航行している。そうでなければ巨大な政治組織、文化団体と変わらぬものへと変身してしまうのだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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