天涯孤独

千葉の姉が二泊して午前中の電車で帰っていった。あいにく私は歯科医の予約があったので、家内ひとりが駅までタクシーで送っていった。帰ってくるなり、プラットホームのベンチで電車が来るまでいろんな話をしたよ、と喜んで報告した。どういう風の吹き回しか、ここに来て、二人の関係は急速に接近している。もちろん身内のあいだにも時間の経過と共に、相互の距離に変化があって当然である。昔あんなにも親しかったのに、いつの間にか疎遠になったり、この二人の場合のように、一挙に親しい関係へと変化することもある。ともあれ、家内のためにありがたいことだと思っている。
 恥を晒すことになるが(モノダイアローグの文章はいつもネットに載せる前に家内に見てもらっているので、これが載っているということは家内が了承したということです)、現在彼女の境遇は天涯孤独に近い、これを夫婦の言葉で言い換えればコゼット状態だということである。『あゝ無情』のあのコゼットである。一昨年の夏、彼女の父親が死んだ時、父方の親戚からはそれなりの弔意が届いたが、どうしたわけか未だにその理由が分からないのだが、母方の親戚からはいっさい何の弔意も示されなかった。まるで申し合わせたように、誰からも一切の連絡が途絶えたままである。
 母親はかつては気性の激しい人で老境に入ったときのことを密かに恐れていたが、いまや仏様のように温和になっている。だから彼女にその理由を聞いてみる気にはならない。なにか私たちの知らない理由があるのかも知れないが、いまさら詮索する気にもならない。
 そんなこんなで、この我が家のコゼットにとって、義姉との親しい付き合いが嬉しくてしょうがないらしい。昔々、彼女が両親と一緒に、この家に婚約式のため東北本線岩沼経由で来た時、土産として大きな桃の木箱を両手に二つも持たせられていた。汗びっしょりだった。この彼女が、一人残って泊まっていったらというバッパさんの誘いに救われたように応諾したとき、姉の批判的な眼差しがずーっと気になっていたらしい。今はその反動もあって、仲良くなれたことが嬉しいのだろう。
 八王子とは比べられないほどのスピードで秋が深まりつつある。今日の夕映えも国見山あたりの濃い紫色の稜線をくっきり浮び上がらせてとても美しかったが、寂しさもまた一入である。だからコゼットの気持ちが良く分かる。

(10/10)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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