千葉の姉が二泊して午前中の電車で帰っていった。あいにく私は歯科医の予約があったので、家内ひとりが駅までタクシーで送っていった。帰ってくるなり、プラットホームのベンチで電車が来るまでいろんな話をしたよ、と喜んで報告した。どういう風の吹き回しか、ここに来て、二人の関係は急速に接近している。もちろん身内のあいだにも時間の経過と共に、相互の距離に変化があって当然である。昔あんなにも親しかったのに、いつの間にか疎遠になったり、この二人の場合のように、一挙に親しい関係へと変化することもある。ともあれ、家内のためにありがたいことだと思っている。
恥を晒すことになるが(モノダイアローグの文章はいつもネットに載せる前に家内に見てもらっているので、これが載っているということは家内が了承したということです)、現在彼女の境遇は天涯孤独に近い、これを夫婦の言葉で言い換えればコゼット状態だということである。『あゝ無情』のあのコゼットである。一昨年の夏、彼女の父親が死んだ時、父方の親戚からはそれなりの弔意が届いたが、どうしたわけか未だにその理由が分からないのだが、母方の親戚からはいっさい何の弔意も示されなかった。まるで申し合わせたように、誰からも一切の連絡が途絶えたままである。
母親はかつては気性の激しい人で老境に入ったときのことを密かに恐れていたが、いまや仏様のように温和になっている。だから彼女にその理由を聞いてみる気にはならない。なにか私たちの知らない理由があるのかも知れないが、いまさら詮索する気にもならない。
そんなこんなで、この我が家のコゼットにとって、義姉との親しい付き合いが嬉しくてしょうがないらしい。昔々、彼女が両親と一緒に、この家に婚約式のため東北本線岩沼経由で来た時、土産として大きな桃の木箱を両手に二つも持たせられていた。汗びっしょりだった。この彼女が、一人残って泊まっていったらというバッパさんの誘いに救われたように応諾したとき、姉の批判的な眼差しがずーっと気になっていたらしい。今はその反動もあって、仲良くなれたことが嬉しいのだろう。
八王子とは比べられないほどのスピードで秋が深まりつつある。今日の夕映えも国見山あたりの濃い紫色の稜線をくっきり浮び上がらせてとても美しかったが、寂しさもまた一入である。だからコゼットの気持ちが良く分かる。
(10/10)