ここ数年、デジタル・カメラばかり使って、それまでのフィルムを使うカメラからは遠ざかったままである。私個人のこのような状況変化から推測しても、写真業界は出版業界よりもはるかに困難な新事態を迎えているはずだ。大変だろうな、と同情はするけれど、写真業界の生き残り作戦に特に関心があるわけではない。ただかつての熱狂的なカメラファンの思い出話を一つ聞いていただきたいだけである。
この町のほぼ中央、駅前通りの真ん中あたりに小さな公園があり(市の所有ではなく一個人の土地という不思議な公園だが)その公園に隣接してパン屋さん、そしてその隣りが私にとっては本屋と並んで少年時代の夢製造所である写真機材店だった。名前はたしか大盛堂、しかし現在はそこだけまるで時間が止まったかのように(以前話題にしたA君の家とまったく同じだ)昔のままの姿で、つまりそこだけまるでゴーストタウンのセットのように、今にも崩れ落ちそうな危うい格好で立っている。だれも住んでいる気配がない。解体される前にぜひ写真に撮っておきたい。それはともかく、かつてはそこの小さなショーウィンドーに並んだカメラを毎日飽きず眺めたものだ。もともとライカのような高級機などではなく、少年でも少し無理をすれば手に入る程度の安物のカメラばかりが並んでいたから、もっと吸引力があった。そしてとうとう小学六年生のとき、どう無理をしたのか覚えていないが、ちっちゃなカメラ(マイクロ・カメラと呼ばれた機種)を買ったのである。
そのカメラが壊れるかして(なにしろブリキ製だったから)、次のターゲットは電話機などと同じベークライト製の少し大きなカメラだった。何度も通い、何度も手に取り、何度も夢に見て、これもなんとか手に入れた。名前は覚えていない。たぶん中古のため格安で手に入れたはずだが、残念ながら傷物だった。つまりベークライトはブリキよりは丈夫だが、熱には弱かったのか、裏蓋が少しそり気味で、そのままだと光が入ったのである。カメラとしては致命傷である。だから店主に勧められて、黒いラシャ紙でその都度目張りして使ったと思う。だがいくら目張りしてもどこからか光が入った。
人生にはままならぬことがあり、人はその度に、ちょうどボートの底の穴から漏れ出る水を掻き出すぐあいに、臨機応変に対応しなければならぬという人生訓を、このカメラとの悪戦苦闘から覚えたような気がする。
(10/25)