余暇

実名を出してももう誰の迷惑にもならぬ遠い昔のことである。東京代々木初台に、[たぶん] 甲州街道に面してカトリック教会があった。いや、今もあるはずである。しかしそこにかつて学生寮があったことを覚えている人は少ないであろう。正式には「レデンプトール学生寮」というその寮は、通りに面した木造二階建て一棟と、教会の裏手(聖堂の真後ろ) をいくつか(たしか七つ) の個室に区切った部分から成り立っていた。レデンプトール会は18世紀イタリアで創設された男子修道会だが、初台教会はカナダ管区の神父たちによって運営されていた (たぶん現在も)。私がこの寮にいたのは、大学二年、三年の二年間、つまり昭和34、35年のことである。いろんな大学に通う総勢25名近くの寮生はかならずしもカトリック信者ではなく、また中には専門学校生や高校生も混じっていた。
 記憶の底に埋れていたそんな昔のことをなぜ思い出したかというと、古い方の棟に40年近く埃をかぶって残っていた一冊の文集を発見したからである。『寮友』という週刊誌大でタイプ印刷42ページのその小冊子には、寮の面倒をみていた二人の神父と一人の修道士のメッセージ以外に、19名の寮生たちが小説やエッセイや詩などを思い思いに書いている。
 今ではこんな面倒くさい、そして世話の焼ける学生寮などだれも引き受けないであろうが、当時、つまり60年安保の激動期だというのに、貧乏学生たちの面倒を見る教会や神父たちがいた。そして学生たちにしても、いろいろ面倒をかけたり問題を起こしたりしながらも、寮生活を通してなにがしかの貴重な精神的糧を、そして自分たちの青春を彩る仲間たちとの絆を織り上げていたのである。
 『寮友』が発行されたのは昭和36年の11月だが、私自身はそのときすでにこの寮から大学の寮へと移っていた。翌春、卒業と同時に広島のJ会修練院に入る準備のためである。
 ところでこの『寮友』に私自身「閑暇について」という短文を寄せている。そのころ読んでなにやら触発されたらしいヨゼフ・ピーパーの『余暇――文化の基礎』に触れての文章である。読み直してみてつくづく思うのは、人間というのはたいして変わらない、成長しない生き物なんだな、ということ。ともあれ、今こそ余暇とは何か、その意味をじっくり考えなければならぬ年齢になったことは間違いない。
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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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