今日も柔らかい午後の光の中を、櫻の花びらが風に舞う。もう六、七割がた散ってしまったろうか。葉桜、そうだ太宰治に確か葉桜のころを描いた短編があったはず。寝室の本棚を探すと、それぞれ三、四冊の太宰の文庫本を合本にした背革の三巻が見つかった。『新樹の言葉』という短編集の中の「葉桜と魔笛」がそれらしい。一度読んだのかも知れないが、いつものとおりすっかり内容を忘れている。ともかく短いので読んでみる。太宰の独壇場である女性の語りで物語りは構成されている。はるかな昔、彼女が二十、妹が十八の時の思い出話である。妹は不治の病で床に臥している。ある日、妹の恋人から来た手紙の束を見つけた姉が、つれなく去っていったその恋人に成り代わって妹当てに手紙を書く。妹の最後に花を添えるため。しかし実はその恋人自体が妹の作り上げた架空の恋人であったという悲しい話である。妹が死んでいくのがちょうど葉桜の季節。
「見て、これ小さい時、お祭のときには必ず締めた帯よ」と妻が橙色(昔は朱色か)を基調にした絹地に、櫻や水仙や紅葉などを配した三尺ほどの帯をどこからか見つけてきた。たぶん階下の未整理の箪笥から引っ張り出したのだろう。絹製ではあるがすっかり色褪せ、何かのしみも付いている。三、四歳のころに使っていたらしく、捨てるには未練があると言う。それでは、と今さっき読んでいた合本の表紙に切り取って貼ることにした。薄い布地なので、皺にならぬようにするにはかなりの技術が必要である。
いや、もったいぶっても始まらない。ものの十五分程度、ちょちょいのちょいでできてしまった。初め見た時は汚らしい布切れだったものが、厚紙にきっちり貼り付けられたのを見ると、光の加減で花々が微妙な色合いを見せてくれる。かくして『新樹の言葉』、『ろまん燈籠』、『津軽』のちょっと趣きのある合本が出来上がった。
ふと窓外を見ると、夕陽の中で小さな夫婦の蝶が風にたわむれ、また互いにたわむれている。まさかこの季節に、と思ったら、それは一本の蜘蛛の糸に絡まった二枚の花びらが微風に揺れて舞っているのである。視線を少し右にずらせば、夕映えの国見山の真上に鼠色の大きな雲がかかっており、もしかすると明日は天気が崩れるかも知れない。ここまで来たら、むしろ一思いに残った花びらもすべて雨に洗われたほうがいいかな、と思う。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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