昨年の夏は曜日が一日ずれて明日が日曜だった。夜、見るとはなしに昨夏の記録『病室から』を見ていたら、明日八月二十三日(日)のところはこう書き出されていた。「一挙に秋が来たといった感じだ。梅雨明けがまだかまだかと思っているうちに、確かに夏らしい日が何回かあり、さてこれから本格的な夏かな、と思っていたら、もう秋だ」
今年とはまたずいぶんの違いだ。西日本ほどではないにしても、今日など相変わらず後頭部がじーんと痛くなってくるような暑さだった。正直何をする気にもならない。本作りも一段落ついて、この夏休むことなく働いてくれた印刷機も静かである。本当はこういう時に、読みかけのまま放置している本でも読み継ぐべきなんだろうが、、恥ずかしいことに小川さんの『弱い神』も、大江健三郎の『水死』も、ともに初め三分の一ほどのところで止まったままである。
井上ひさしの遺作『一週間』もアマゾンで安くなるのを待っていたが、この分だと購入はさらに先の方がよさそうだ。一時期熱中したペソアさんやマチャードさんの詩集も机横に積まれた本たちのいちばん下あたりで重さにじっと耐えている。
とかなんとか、今日の午後の図書館での「お話」について語ることを注意深く避けているようだが、別に他意はない。ただやはり制限時間十五分はあまりにも短く、一応は頭の中で準備していたことのあらかたは触れないままだった。まっこんなこともあるさ、とあまり気にしないようにしよう。美子はその間、感心なことに隣でずっとおとなしくしてくれた。そして話終えて、テーブルに着こうとしたとき、近くにいた人たちがやさしく美子が転ばないように支えてくださったのは、生煮えのまま終わりかけた今日のノルマに、爽やかないろどりを添えてくれた。そう、それが今日いちばんの収穫であった、と感謝することにしよう(変なまとめ方!)。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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