パソコンの画面の中で、薄めのサングラスをかけた美人と、その頃はまだ若かった美子が並んでにこやかに笑っている。サングラスの美人は李香蘭、というより山口淑子に似ているが、武田百合子さんである。昨日触れた島尾敏雄を偲ぶ会で、私自身が撮った写真である。憧れの人に会い、しかも一緒の写真に写るというビッグ・チャンスに美子は至福の表情を浮べている。と思った瞬間、別の写真に変わった。
どういう仕組みか、実はよく分からないのだが、この春パソコンが壊れた際に、修理を請け負ってくれたTさんがPICASA(ピカソをもじったか)というソフトを、サーヴィスでインストールしてくれたのである。パソコンに保管されている私の写真を、こちらが作業していないときに、スクリーンセーバーとして、つまり同一画面が放置されたままの焼き付きを防ぐために次々と映し出してくれるのだ。作業を中断してから写真のパレードが始まるまでの待ち時間は自由に設定できる。ただし写真が変換するのは現在約6秒だが、その長さを設定する方法は分からない。
何百枚もある写真をどういう順番で写してくれるのか、その仕組みも全く分からない。パソコンを使っての仕事を中断して、本などを読み始め、しばらくしてふと眼を上げると、大昔の、たとえば帯広市郊外の芝生の上で、私を除く(つまり昭和13年ごろでまだ私はこの世に生まれていない)四人の幸福な家族の写真の次に、口の周りにチョコレートをつけた最近の愛の姿が映し出されたりする。つまり写真と写真のあいだに一切の脈絡はないのだ。
死を前にすると、走馬灯のように過去の映像が頭蓋に映し出されるという。それに似ているなどと言えば縁起が悪いが、しかしこれはこれでなかなか面白く、つい見とれてしまう。つまり人工的な思い出製造機みたいなもので、記憶の襞深くにしまわれていたものが、思いがけなく現前し、また時には時間的には離れていた二つのものが意外な繋がりを見せてくれたりするからである。
ともあれ、かつて武田百合子さんは美子にとって憧れの人であった。『富士日記』を何回読み直したことであろう。百合子さんの自由で、肯定的で、しかも鋭い批評精神を絶賛してやまなかった。それでいつの間にか私も百合子さんの魅力に開眼した。『犬が星見た・ロシア紀行』のみごとな文明批評にも感心した。美子は『日日雑記』、『ことばの食卓』、『遊覧日記』、と次々と求めては愛読した。
百合子さんは平成5年、つまり写真の時から6年後に肝硬変で亡くなった。享年67。百合子さんが残した日記、原稿、メモ、手帖などは「焼却するように」と遺言があったため、娘の花さんが処分したという。遺骨は夫の泰淳さんと同じ中目黒の長泉院に葬られている。機会があったらいつか美子と一緒に詣でたいお墓の一つだったが、たぶんかつてのアイドルのことは美子の記憶から消えているであろう。
百合子さんの日記や手帖が焼かれたのは残念だが、遺言であるなら仕方がない。でも彼女の独特な個性や感性の魅力は残された作品からだけでもじゅうぶん伝えられていくであろう。私も残された日々、美子の分まで百合子さんの作品を読み続けるつもりだ。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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