今日は午前中、愛たちが、つまり頴美たちが、ばっぱさんを訪ねてくれたので、恒例の日参は休んでもよかったのであるが、定期的に送られてくる「皇潤」とリハビリパンツを届けるために、眼がくらむような午後の暑さの中を出かけていった。以下、ばっぱさんとの会話である。
「今月分の皇潤持ってきたど。どう?前より歩くの少し楽になったべ?」
「んっ?いや、わたしの場合は逆だど」
「えっ、逆って何の逆?」
「薬飲んだから楽になったんでねーく、歩くべと努力したから、薬も効いてきたんだべ」
「なーんでそったらこと言うんだべ。どーして素直に、おかげさまで少し楽になったーって言わなねんだー、可愛くねーこと」
九十八のばあさんに説教するのも変だけれど、つい昨日も説教したばかりなのだ。広間の椅子に座っていたばっぱさん、のっけから面白くもなさそうな顔をしている。どうしたの、と聞くと、退屈で退屈でおもしろくない、とおっしゃる。でもねー、ばっぱさんよ、そんなこと言えば、だれでも面白いことばっか続いてるのではないよ。みんな何かしら我慢して生きてるんだよ。
だって見てごらん、ここにいる美子、むかしあんなにも楽しみにしてた読書もできないんだよ。ばっぱさんは今でも本は読めるし、そこにあるテレビだってみんなと楽しく見ようと思えば見れるじゃない。そりゃー九十八にもなったんだから、からだのいろんなところにガタがきてるさ。でも差し当たって痛いところも病んでるところもないんだよ。
私より少し年上だけどばっぱさんよりずーっと若い友だちなんか、今この瞬間にも必死になって病気と闘ってる。ばっぱさんよ、会うたびに不満ばっかり言うの止めてくれないかな。毎日一緒に生活している人たちと仲良く、楽しくするようにしたらどうなの。誰かになにかしてもらうことばかり考えないで、自分で楽しくするようにしなければ、いつまでたっても不満たらたらで面白くないよ。
そんな説教を垂れながら、さて自分が万が一ばっぱさんの歳になったらどうなっているか、偉そうなこと言えないな、と思っている。前向きに、明るく、肯定的な気分で生きているだろうか。
「じゃばっぱさん、今晩はスペイン語教室があって、ちょっと準備すっこともあっから、今日はこの辺で帰っからな。文句ばっか言わねーで、スタッフの言うことよく聞いて、夕食はちゃんと食べるんだど。明日また来っから。ほら帰っていくのここから見えっからな」
「分かった」 意外と素直な答えが返ってきた。
むっとした熱気の中、庭から室内を透かし見ると、いつものように細い腕を挙げて別れの挨拶をしていた。まっ、我慢してればそのうち楽しいこともあるべさ。