『モノディアロゴスⅡ』について

しばらく休んでました。病気になったわけでも、事件に巻き込まれていたわけでもありません。ここ数日、集中的に仕事をしていたからです。つまり『モノディアロゴスⅡ』の編集をしていたのです。詳しく言えば次のような作業です。
 まずパソコンに保管されていた2003年7月から2004年8月までの日録をB6版、袋綴じ270ページの本に、そして2004年8月から 2007年5月までの「モノディアロゴス」を167ぺージの本にしました。両者の違い、つまり「日録」と「モノディアロゴス」の違いは微妙です。つまり 2002年7月から2003年7月までのものを『モノディアロゴス』として行路社から出版してもらいましたが、そのあと純然たる(?)モノディアロゴス形式の文章を書く気力がないまま、表題なしで長さもまちまちの文章を「日録」として約一年ばかり書き継いだのですが、翌2004年の8月からは、また表題をつけて散発的に書き継ぎました。
 けれど先ほども言いましたように、両者の事実上の違いはありません。つまり表題をつけたものの中には、千字という長さに満たないものもあれば、「日録」として無題で掲載されたものの中にも、いわゆる正統的な(?)なモノディアロゴス形式を整えたものもあったわけです。
 それで今回、それらすべての文章を見直し、規格を越える分量のものには剪定(?)を加え、名前のないものには表題を付けて一緒にし、「モノディアロゴスⅡ」として造本しようと考えたわけです。ただ今回は、短いながら捨てがたい文章をなんとか生かしたくて、ちょうど半分の長さのもの、つまりミニ・モノディアロゴスという形式を創設しました。
 行路社版では、1ページにちょうど一つのモノディアロゴスが収まるようにし、まるで日めくりのように読めると好評でしたので(もちろんごく一部の人にはですが)、今回も見開き2ページに一つのモノディアロゴスが収まるように工夫しました。もちろんミニ・モノディアロゴスは1ページにきっちり入るようにしました。
 試作品ですが先ほど一応出来上がりました。総ページ294ページになりました。行路社版では約270のモノディアロゴスが収録されていますが、『モノディアロゴスⅡ』にはそれよりずっと少ない150ほどのモノディアロゴスとミニ・モノディアロゴスが収載されるわけです。B6版ではちょうどいい分量でしょう。

 さて今回も行路社あるいは他の出版社から出してもらうかどうか、実は決めていません。どうしてもわが社で、などと申し出があれば喜んで応じるつもりですが、そんなわけはないので、とうぶんは読みたい人に、インク代・紙代など実費をいただいての私家本で、と考えています。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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