七月八日が近づいている。いや別になんの祝日でも記念日でもない。この「モノディアロゴス」を昨年のその日に始めたというだけの話である。ともかく一年は続けてみて、その後のことはそのときになってから決める、という風に考えていた。努めて毎日、そして千字以内というのではなくきっちり千字書くという自らに課した二つの条件は、怠け者の私には結果としてうまく機能してくれた。書ける、あるいは書きたい時に、字数制限なしに書く、というのであれば、絶対にここまでは続けられなかったに違いない。
問題はそれで何が達成できたか、ということであるが、これは当初から具体的な成果を求めていたわけではない。職を辞して新しい環境になじむためのリズムをなんとか作っていきたい、そのための一種の牽引車あるいははずみ車として機能してくれれば、と思っていた。その意味でいうと、当初の目論見はほぼ達成された。茫洋と流れゆく時の中で、少なくとも眼前の当為として赤い布を振ってくれたのだから。
とこう書いてくれば、決意が固まったかのようだが、実はまだ迷っている。どちらにしても完全に止めよう、とは思ってはいない。ホームページに「モノディアロゴス」という場所は残して置きたいし、これからも折りに触れて戻ってきたいとは思っている。しかし毎日のノルマとしてはやはりこの辺が潮時かな、と思っているのである。
結局、この一年間書き続けた「モノディアロゴス」は何だったのだろう。唐突に職を辞して故郷への再定着を試みた、妻と三匹の動物たちを連れた一人の男の生活記録?それは否定できないが、しかしそれはあくまで外面的な縦糸であって、内面的な横糸としては、記憶をたどっての過去への遡行、インターネットを介しての未知の世界への冒険行、古き書物との再会、歴史と物語(ともに欧文脈ではヒストリーだが)の構築へと誘ういくつかのヒントと断片……まっ、格好をつければそう言えるかも知れない。
改めて考えてみれば、毎日千字ということ以外にも、日付と題辞と内容の三つがかもし出す、というよりそれらの齟齬が作り出す意表外の結果が、実はもっとも大きな成果だったかも知れない。ともあれあと三日、もう楽屋話はやめて、さりげなく静かに幕を下ろそう。
(7/4)
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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