一周年まぢか

七月八日が近づいている。いや別になんの祝日でも記念日でもない。この「モノディアロゴス」を昨年のその日に始めたというだけの話である。ともかく一年は続けてみて、その後のことはそのときになってから決める、という風に考えていた。努めて毎日、そして千字以内というのではなくきっちり千字書くという自らに課した二つの条件は、怠け者の私には結果としてうまく機能してくれた。書ける、あるいは書きたい時に、字数制限なしに書く、というのであれば、絶対にここまでは続けられなかったに違いない。
 問題はそれで何が達成できたか、ということであるが、これは当初から具体的な成果を求めていたわけではない。職を辞して新しい環境になじむためのリズムをなんとか作っていきたい、そのための一種の牽引車あるいははずみ車として機能してくれれば、と思っていた。その意味でいうと、当初の目論見はほぼ達成された。茫洋と流れゆく時の中で、少なくとも眼前の当為として赤い布を振ってくれたのだから。
 とこう書いてくれば、決意が固まったかのようだが、実はまだ迷っている。どちらにしても完全に止めよう、とは思ってはいない。ホームページに「モノディアロゴス」という場所は残して置きたいし、これからも折りに触れて戻ってきたいとは思っている。しかし毎日のノルマとしてはやはりこの辺が潮時かな、と思っているのである。
 結局、この一年間書き続けた「モノディアロゴス」は何だったのだろう。唐突に職を辞して故郷への再定着を試みた、妻と三匹の動物たちを連れた一人の男の生活記録?それは否定できないが、しかしそれはあくまで外面的な縦糸であって、内面的な横糸としては、記憶をたどっての過去への遡行、インターネットを介しての未知の世界への冒険行、古き書物との再会、歴史と物語(ともに欧文脈ではヒストリーだが)の構築へと誘ういくつかのヒントと断片……まっ、格好をつければそう言えるかも知れない。
 改めて考えてみれば、毎日千字ということ以外にも、日付と題辞と内容の三つがかもし出す、というよりそれらの齟齬が作り出す意表外の結果が、実はもっとも大きな成果だったかも知れない。ともあれあと三日、もう楽屋話はやめて、さりげなく静かに幕を下ろそう。
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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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