立春

書きあぐねていた例の手紙をようやく書き終えた。同人誌「青銅時代」を引き継いでもらえないだろうか、という内容のS氏への手紙である。投函する前に平沼氏に電話口で読み上げ、彼の了解を得てからにしようと思ったが、留守らしい。とくに異存はないはずの内容なので事後承諾でいいだろうと、午後の散歩の途中、郵便局から速達便で出した。一仕事終えた気分になるかな、と予想していたが、そんなことはなかった。要するに半ば事務的に、淡々とお願いする文面になったからであろう。そしてその方が良かった。下手に感情に訴えるような書き方をしたら、受取る方でも負担に思うだろうからである。あとは成り行きに任せるしかない.
 考えてみれば、いや考えるまでもないが、今日は立春である。午前中、愛たちがばっぱさん訪問をしてくれたので、施設訪問は休み、郵便局から新田川河畔に向かった。川面を渡ってくる風も柔らかく、十羽ほどかたまって泳いでいた鴨の群れも心地よさそうだった。いつもの通り、下水処理場側の道を突き当りまで行って帰ってきた。
 夕食後、BSジャパンの「にっぽん原風景紀行」で冬の松川浦をやっていた。砂嘴の発達により堰塞されて宇多川河口に形成された面積5.9平方kmの潟湖で、明治末期までは塩の産地、以後はノリ、カキ、ハマグリ、アサリの養殖が盛んなところである。95年にできた美しい大吊橋の向こうに太平洋が広がる。今年の正月二日にも行ったところだが、テレビの画面でみる松川浦は、なるほど日本百景に数えられるだけあって実に見事な景勝地だ。ふだんはあまり意識してこなかったが、近くにこんな素晴らしい場所があるんだ、と認識を新たにした。冬の松川浦だけでなく、今年は四季折々の風景を楽しみたいものだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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