饅頭怖い

いわきから迎えに来た姉に連れられて、バッパさん、久しぶりのお泊りである。休みじゃないから孫たちも曾孫たちも来ていない娘夫婦の家で、たとえ数日であっても気兼ねも退屈もするだろうに、と思ったが、ともかく移動することが好きなので、あっさり行く気になったようだ。姉が10時半の電車で来て午後3時半の電車で連れてってくれることになった。
 さて、いわき行きの電車をプラットホームで待っていたときのことである。ベンチに坐っていたバッパさんがとつぜんのたもうた。「あーあ、ひばり餡餅食いたくねー」。つぶやきにしては大きなその声を、実は私は聞き逃したのだが、姉から聞き出した瞬間、期せずして3人(つまりバッパさん以外の)、噴き出してしまった。
 駅前の更地のままの開発予定地を見ては市政の無策を笑い、駅舎の壁面に描かれた野馬の群れを見ては無駄な宣伝だと批判したバッパさんらしく、昔ながらの土産物を「食いてー」ではなく「食いたくねー」と否定的に事挙げしたことが、やけに可笑しかったからである。
 ちょっと可哀想でもあった。昼食のお終わりかけあたりから娘と息子の集中砲火を浴びっぱなしだったからである。実は恥ずかしながら、ここのところ我が家はいつものバッパさんがらみのドタバタが続いていた。洗濯物は息子に任せるという約束を破って、濡れ縁に椅子2脚を出してその背もたれや腕木のところに肌色パンツの満艦飾をほどこしたこととか、小便用便器を洗面台で洗ってるところを見つけられたことなどで、バトルが続いていたのである。便器のことでは、「ここはおれの家だど、嫌なら八王子さ帰(けー)れ!」などという禁句まで飛び出した。寅さんじゃないけど、バッパさん「それを言っちゃーお終いよー」。
 予定を早めていわきから迎えが来たのは、ヒートアップした両者の関係を冷まそうとの心遣いがあったからかも知れない。
 「杖でも買ってやっか」という言葉に、「そったらものいらねー」と、跨線橋の手すりを掴んで登山家並のスピードで(は嘘だが)駆け上がり駆け下りて向かいのプラットホームに降り立ったバッパさん、さすがに息を荒くしている。そんなときに発せられたバッパさんの言葉、果たして字句どおりに受け取っていいのか?もしかすると、ひばり餡餅食いたいのに、素直にそう表現するのがゴセヤケタ(腹立たしかった)のかも知れない。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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