北御門二郎氏帰天

今日の「朝日新聞」を見ていて、迂闊にも北御門二郎氏が亡くなられたことを初めて知った。しかももう一月半も前に(七月十七日)。享年九十一歳というから、大往生というべきかも知れないが、機会があれば一度お会いしたいと思っていたのに残念である。もっとも、彼が遺してくださった文章を読めばいつでもお会いできると思えば、寂しさもいくぶんかは癒されるが。
 『モノディアロゴス』の「ある徴兵拒否者」(一五四ページ)にも書いたとおり、彼のことを詳しく知ったのは1冊の古い雑誌を介してであった。そして長男のすすぐ氏が管理しておられるホームページの存在を知り、相互にリンクを貼らせていただいた。それ以来、すすぐ氏とはときおりメールをやりとりするようになった。それによると、二郎氏は一九九七年正月のストーブ事故以後脳梗塞をわずらい、時おりデイ・サーヴィスを受けるほかは自宅でほとんど寝たきりの生活を余儀なくされておられたそうだ。また今朝の新聞によると、昨年文庫化されたトルストイ『文読む月日』をすすぐ氏夫人たえ子さんに毎日一章ずつ音読してもらっていたという。生涯、反戦とトルストイ主義を貫かれた氏は、今の私からすれば実に羨ましい最後を迎えられたように思われる。第一、病床で音読してくれるような嫁……おっと、これ以上書くと私の身の回りに差し障りができるのでやめる。
 とりあえず、すすぐ氏宛てに弔意と『モノディアロゴス』を郵送し、そして自製の「死者の暦」に七月十七日の項を書き加えた。
 ところで「死者の暦」は今のところ充分な余白が、というより死者の名が刻まれた日はまだわずかである。とうぜん一年三百六十五日を全て埋め尽くす前に私の方が死者の列に加わるであろうが、どうせ作るならカトリック教会がやっているような「聖人暦」のように、それぞれの欄に死者の写真もしくは似顔絵と生前の特徴を一語で表わすような言葉を書き加えようか。たとえば「〇〇△雄、生涯爬虫類を愛でし男」という具合に。
 台風のせいか、ざわざわと生暖かい風が吹き、不安定な空模様の一日だった。久方ぶりに休みをとって帰省した息子も所在なさそう。明日は滞在最後の日、大熊のウメさんのところに連れて行こう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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