雨の中の憂鬱な思い

午後、小雨の中を美子と車で隣町(といっても現在では同じ南相馬市の区だが)鹿島の郵便局に行ったほかは、ずっと家にいた。震災前と特に変わらない雨の一日ではあるが、ずっと一つのことが心にかかっていた。数日前に行なわれた世論調査の結果のことだ。実際の新聞がどういう見出しだったかは確かめようがないが、ネットでの見出しは「原発<減らす・やめる>41%」。つまり見出しだけから判断すれば、原発批判票が41%にもなった、と強調しているようなのだ。
 確かに今から4年前の同様の調査では、「減らす」が21%で「やめる」が7%だったから、今回のと較べると9%と4%の増加と言えば言えるのではあるが、それにしても批判票があまりに低い数値であることに愕然としているわけだ。今回の対象が全国だということだが、もしこれが被災地対象だったとしたら、どうだったであろう。反対論がもっと多くなっていたはずだという気はするが、もしかしてそう大きな違いはなかったかも…との疑いを消すことができず、正直なところ知るのが怖い。
 震災後、飲用水や食料を買いあさったのと同じ人たちが、生活の利便さを求めて原発継続を支持しているのであろうか。インフルエンザや伝染病に対する恐怖心と同じレベルで怖れているのかも知れない。先日も、たまたま見ていたテレビで、外国人特派員たちが今度の原発問題を話し合っていた、聞くとはなしに聞いていると、ロシア人の記者がとんでもないことを言っていた。つまり原発をことさら危険視するのは間違っている。エネルギーを得る方法はどんなものでも危険が伴う。たとえばロシアでは水力発電所の事故で百数十人かの犠牲者が出た、と。
 水力発電所の事故、あるいはインフルエンザや伝染病と原発事故が決定的に違うのは、前者がたとえ被害の規模が大きいとしても一過性のもの、いつかは終息するものであるのに対し、後者はたとえ封じ込めたとしても、その危険性というか毒性が完全に消滅するには…怖いので覚える気もしないが確か万単位の年月を必要とするということである。つい数ヶ月前までは、可愛いアニメの画面で放射能廃棄物を地下数百メートルのところに安全に埋めることを引き受けてくれる地方自治体は居ませんか、というコマーシャルを流していたが、素人考えでも、それが安全なはずがない、本当に安全だったら、廃物利用でブロック塀にでもしたらいいじゃん、と思っていた。
 いや、やっぱり分からん。あんな大事故の後でも、しかもその終息自体がまだまだ覚束ないという時点で、原発の増設を含めた現状維持の支持者が55%もいるということが。以前、もし原発がそんなに安全だと主張するなら、電力会社会長・社長以下上級社員の家族が原発周辺に居住することを義務付けるべきだと言ったことがあるが、それと同じ理屈で、原発推進者はどうぞ原発周辺にお住み下さい、しかも原発からの電力はどうぞどうぞ自分たちだけでお使いになっても結構です、と申し上げたい。そんなの暴論で居住の自由、延いては人権侵害に相当するって言うんですかい? でも原発の側にはどうしても住みたくないという人の自由や権利はどう保障してくれる?
 今回の地震・津波で被害を受けた大槌や気仙沼は確か吉里吉里国に含まれてましたね? 吉里吉里人は原発問題についてどうお考えですか。ヤバイ!吉里吉里国の側に女川原発が…我慢強い東北人、粘り強い東北人なんておだてられてるうち、女川ばかりか青森にも原発が1基、女川3基、福島6基、東海1基、ななんと柏崎7基…
 せめて東北からだけでも原発を廃炉に追い込んで行きたいけど、多いっすなー 
 そんな折りも折り、夜のテレビでは、つくば市が福島県からの転入希望者に対して放射能汚染の検査を受けた証明書の提示を求めていたというとんでもない無知丸出しの対応が報じられていた。どこまで馬鹿なんでしょうかなー、日本人は

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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雨の中の憂鬱な思い への2件のフィードバック

  1. 松崎孝子 のコメント:

    今日、朝の情報番組で、『原発の町から原発の町へ』というタイトルの付いた内容で、富岡町や南相馬市から、新潟県柏崎市の刈羽原発近くへ避難してきた中学生に対してある質問がなされました。
    『原発は大切だと思いますか?』
    するとそこに並んだ5人全員が、”大切だ“と手を挙げたのです。
    聞けば彼らの親が原発の仕事をしていて、避難指示が出た時に、会社の寮を提供してもらえる為に柏崎市へ避難して来た人達なのです。なるほど新潟県の中でも原発のある柏崎に、ケタ違いの避難者がいるわけです。
    またある男子生徒は『地元で゙東電゚と言ったらとても良い会社と言われていて、将来は自分も入りたいと考えていた』というのです。
    そう答えた中学生達を見て、スタジオにいた司会者やコメンテーターが、『いろんな事を考えて答えていると思う…』
    と話していました。そこから話題が膨らむ事もなく、私自身もなにかやりきれない思いでいっぱいでした。インタビューに答えていた生徒さんの一人を知っているのですが、あんなに暗い表情を始めて見ました。
    原発を受け入れ、あるいは関連企業で働き、生活をしてきた人は多いのですね。避難所にいた時、息子さんが原発関係で働いている人などは、知る限り決してそれを口にしてませんでしたが、皆でニュースを見ていて誰かが憤りを隠さずに
    『原発のせいで人生がメチャクチャになったんだ!オレらの暮らしを返せー!』と叫んだ時、足早にその場から立ち去って行かれるのを見て、複雑な思いをされているのだろうと感じました。
    こんな事態になって、原発を憎む人は多いはずですが、原発の恩恵を受けて生活を営んで来た人達もまた、原発避難者の中にこそ多いのですね。
    だから、たとえ被災者に原発は必要かと聞いても、必要だと答える人がゼロになることはないのかもしれません。
    原発の事故があったために、故郷を追われ、見知らぬ町で転校したり、目標も見えなくて不安になっている子供達や、年老いた両親が人目を避けて泣いている姿をみている私には『もう、原発なんかいらない!』という気持ちしかないのですが…。

  2. 松下 伸 のコメント:

     佐々木 さま

     アメリカ独立戦争
     独立派三分の一、親英派三分の一、中間派三分の一、だったそうです。
     日本の明治維新
     官軍が圧倒的多数だったか?
     勝ちには、不思議の勝ちもあります。
     朝日の数字、良く解りませんが
     事故当事者は、相当緊張しているのでは・・
     事故の収束には、いささか手間取っているようですが、
     人心の収らんには、遅滞なく手を打っているように見えます。
     「スキーム」・・だそうです。
     難しいコトバ。
     こういう用語自体、陰謀に聞こえます。

                              塵 拝

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