昨夕から未明にかけて

皆さんお気付きのことと思いますが、昨日の夕方から今日の未明にかけて、この貧しいブログに再度異変が起こりました。一度目は3月22日・23日、「朝日」と「東京」で記事に取り上げてもらったとき。日に5、60くらいのアクセス数の小さなブログが一気に五千以上の訪問を受けました。でもあの時は、こちらも必死でしたから、あまり実感がありませんでした。しかし昨夕は、カウンターの数字が刻々増えていくことに、投資家が株価の急激な値上がりをどきどきしながら見守っているのはこんな感じかなー、などと思いながら、しばし目が離せませんでした。
 新聞の威力に改めて感心しました。いやわざわざブログのところまで来ていただいたのは、多分に、いや明らかに、記事を書いてくださった浜田さんの筆力のせいでした。当の私までがアクセスしてみよう、と思いましたもの(急におねえ言葉になりましたが他意<?>はありません)。
 常連コメンテーターの皆さんが心配なさったように、何かあって昨夜休んだわけではありません。いや正直言えば、何かあったわけです、つまり突然強烈なスポットライトを浴びたように、しばし呆然としていた、というわけです。しかしいちばんの理由は、そうだこの機会に、画面下方にあるチャリティーコンサートのプログラムに訪問客の目が留まればいいな、と考えたからでした。つまり昨夜書くと、どういう仕組みか分かりませんが、プログラムのことが「古い投稿」に回されてしまうのです。
 ともあれ四千人以上の訪問客の三分の一、つまり千三百人のひとはコンサート開催の知らせに気付くだろう。うち東京近郊の人は約七百人、さらに開場まで足を運んでくださる方が百人もいれば御の字。会場の席数は四百ちょっとらしいので、このブログを見て四谷まで出かける人は四分の一ということになり、菅さん川口さんなど善意の音楽家たちのご好意に少しはお役に立てるのではと考えたのであります。でもこういう計算って何て言うか知ってます? そう取らぬ狸の皮算用。
 さて留守を守って(?)くださったコメンテーターの面々、今しも国会で繰り広げられている世にも珍しい <すったもんだ> 劇を痛烈に批判しておられます。母屋の私は、というと、あまりの馬鹿さ加減に、コメントする意欲も殺がれ、私よりかは少し若い(おっと、うちお1人は私より四歳年上です)コメンテーターにおまかせとばかり、のんびりしてました。でも「窓」を読んで期待してここを訪ねてきた人はさぞかしびっくりしていませんかね。なんて氣の抜けたブログだこと、と。
 隠してみても始まらないので白状しますが、ときどき、そう十回に一回くらい、庵主(とは私、呑空庵庵主のことです)の怒りが沸点に達したとき、まあまあのヒットを飛ばすけれど、あとの九回は風呂の中の屁みたいなものです。…とここまで書いて、この表現に間違いは無いか不安になって、最近辞書代わりに愛用しているヤフーを検索してみた。すると真っ先に出てきたのが、何と!、先日の国歌斉唱問題に関する朝日新聞の論説を、橋下知事自身がツイッターで「風呂の中の屁」と呼び、朝日新聞との全面対決を要求した、と出てきた。
 それで初めて分かったのは、最高裁判決が出る前に、すでに朝日が「大阪維新の会」を批判していたということだ。迂闊にも読み落としていた。引用されていた朝日のその論説を読んでみたが、誠に正論そのものといった内容である。それを <風呂の中の屁> と評しているとしたら、先ほど自分の書くものをそう呼んだのはあながち卑下の表現ではないのかな、と錯覚しそうになった。いやいやとんでもない、あの橋下が使った言葉で自分を卑下するなんて嫌なこった。別の言葉を…ちょっと思いつかないが、ともかく前言取り消しにしてもらおう。
 こう書いているうち、ふつふつと内臓湯沸かし器が熱くなり始めました。疲れるので今日はここで止めます。ともかくこの問題についてコメントしてくれたアユムさんや奈々絵さんのような若い方がいるなら、私たち老人は(少なくともSさんと私のことですが)わずかな期待を未来に繋ぐことができます。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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昨夕から未明にかけて への6件のフィードバック

  1. 宮城奈々絵 のコメント:

    久しぶりの突然の緊急地震速報。肝が冷えました。先生、大丈夫でしたか?
    約三ヶ月前は毎日地震酔いと心配で、揺れていない時も揺れている気がしてならず、普段の生活が出来なかったのですが、落ち着いてきた頃の再びの地震。本当に心から早く落ち着いて欲しい、と願うばかりです。
    blogの閲覧数、こちらからは分からないのですが、そんなに一気に増えるものなんですね。
    毎日の心の安定剤、とblogチェックする私としては、先生の記事をたくさんの人が読むのはとても嬉しいです。沢山のことを学んだり、感じたり出来ると思うからです。(私自身がそうだったので。)
    先程の地震の話ではないですが、この国は、政治も司法も地震のように国民をグラグラと揺らしてばかりです。
    先生のblogから分かる毎日の生活、母から聞く宮城の様子、またネットに見る福島や岩手の方々の言葉の数々…。あの中央の方達は全く違う時間が流れているみたいです。
    次々と起こる出来事に、私の心の湯沸かし器も沸騰中です。
    追記:記事の中に急に名前が出て来て、驚きで一気に目が覚めました。

  2. 三宅貴夫 のコメント:

    京都から福島へ
    再び、原発事故関連のことですが、以前、放射線の低線量長期被曝の場合、これ以下だと身体への影響がないとする値の「閾値」あるいは「しきい値」が、あるか、ないか、で専門家の間でも意見が分かれていると書きました。その事が気になり、ネットで調べていると沢田昭二氏を知りました。
    彼は、1931年に広島市に生まれ、1945年広島に投下された原爆で被爆体験がある素粒子論の物理学者であり、 現在は名古屋大学名誉教授で原水爆禁止日本協議会の代表理事です。、同時に、ベルギーを拠点とする民間団体「ヨーロッパ放射線リスク委員会(European Committee on Radiation Risk:ECRR)」の委員もしています。この委員会は、政府が被曝放射線量の安全基準の根拠としているオタワを拠点とする民間団体「国際放射線防護委員会International Commission on Radiological Protection: ICRP)に批判的なグループで結成されたと聞いています。ECRRは、福島原発事故の直後、政府発表の数値をもとに、にわかには信じがたい数のがんが発生する恐れがあり、より広範囲の住民が避難するべきと勧告を出しました。
    この沢田氏の論文「『放射線による内部被曝』-福島原発事故に関連して-」をPeace Philosophy Centreというサイトで見つけました。彼は閾値がないとする立場で、その主張を医師である私も論じる資格はありませんが、その論文の最後に以下のとおり述べていることにはまったく同感です。このブログでも私が「市民の立場に立てる放射線の専門家が現れることを呼びかけましたが、彼は既にそれ以上のことを呼び掛けていたのです。
    「「安全神話」を振りまいてきた専門家を除き,自主・民主・公開の基本原則に基づいて国民の安全に責任を持つ専門家を総結集して,強い権限を持つ原発事故委員会を立ち上げ,事故の収拾計画,スポット状汚染地域の放射能のきめ細かい測定と居住環境の調査,被曝した人びとの健康管理,汚染土壌の処理を含めた農業などの安定的再開,海洋と水産物の汚染のきめ細かい測定と公表などを推進することが何よりも必要である。」
    この論文は4月20日付けですが、委員会を立ち上げるという話しは未だ伝わってこない。
    政府と東電と「専門家」に独占されている情報とその指示に多くの市民が従わざるとえない現状は変えなければなりません。20ミリシーベルトが1ミリシーベルトに下げられて何が変わったのでしょう。

  3. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    ただ私個人の考えを言わせてもらえれば、あのとき、すなわち震災直後、たとえば私の住む場所にも避難命令が出たとしても、応じなかったでしょう。津波のように百パーセント命の危険が迫っているなら別ですが、何年か先(十年以上でしたか?)のガン発症の危険、しかも低い確率でのそれを避けるよりも、ここ十年(あるいはもっと短い?)の従来どおりの静かな生活を、それこそ双葉町のおばあさんのように死守したでしょう。科学者たちがたとえ正確な数字をはじき出したとしても、私が今置かれているような状況下では、自分の死に場所を選ぶ権利は絶対に、それが国家に対してであっても、譲るつもりはありません。矛盾した言い方かも知れませんが、死を賭けてでも、譲るつもりはありません。
     たぶんこういう考えかたは、被災地の中に生きる人でなければ分からないかも知れません。正直に言うと、震災後しばらくのあいだ、身内や友人たちから避難したら、そこにいたら危ないよ、といろんな情報を伝えられることが実はいちばん辛い、ぎりぎり突き刺さってくるように感じられる諫言でした
     本音を言うと、今科学者や医者は、とうてい現段階では分かりかねる閾値探索よりも、先日も言ったように、現代科学・医学の全てを挙げて、将来発症するかも知れない病気にどう対応するか、それこそ真剣に研究してもらいたい。毎夏チェルノブイリの子供たちを呼んで世話している従弟(整形外科医)の話によると、来たときと帰るときとでは白血球の数が数段増加しているらしい。つまり不安や恐怖でストレスを与えることがどれだけ有害かということだろう。

  4. 三宅貴夫 のコメント:

    よく理解できるつもりですが、遠くにいて見えないこともたくさんあると思います。
    私がこのブログでも書かせてもらいましたが、放射線被曝の防御で生命を守ることも大切だが、生きるという生活も大切と思います。
    それが、何にもまして命が大切―生活を犠牲にしてもーという風潮がマスコミなどにも強い。
    これも既に書いたことですが、65歳の私がその場に居たらい、同じように住み続けていたでしょう。
    そこで生まれ、そこで育ち、そこで死ぬつまりでいた人たちが一切合財、土地と歴史と生活から切り離されて、異郷に住む、しかも帰る見込みもない避難生活はあまりに酷です。
    大人はまだ選択でるかもしれませんが、健康被害がもっと心配される子供たちは何もわからないまま追い出されています。
    事故原発の管理状態ばかりが報道されますが、肝心の周辺の放射線の監視管理は続けられているのでしょうか。と同時に重要な監視のひとつに健康状態があります。
    これも速やかに始めなければなりません。
    1999年の東海村JCO臨界事故では、村民にがんが増えたとする人たちもいるようですが、事故後の健康監視がまったく行われていないそうです。

  5. 松下 伸 のコメント:

     
     「経済」は、「経国済民」とのこと。
     被災、避難生活、健康被害・・
     済(すくわれ)るべき人々が確実にいます。
     これから、もっと出る  かも・・

     なのに、政治の動きは甚だ不審。
     今や、経国のみ。統治機構の強化最優先のよう・・
     その兆候は、このブログで皆さん既に指摘済み。

     経国棄民は、民主主義の下では
     あってはならない愚策です。
     多くの市民の厳しい監視がいま必要と思います。
     傾国亡民の日本列島を望みません。
     議論、ご教示かさねてお願いします。

                              塵 拝

  6. 安里睦子(サスケ) のコメント:

    突然失礼します。
    毎日新聞をとっております。
    mixiで、ニュースを愛読していまして、けれど毎日、読売、はでてくるのですが、
    朝日の記事はありません。
    昨今のいろいろな事柄を、朝日はどう報道しているのだろうと思い、
    で、たまたまコンビニでいつも目にする事ができない朝日を買いました。
    その中にこのブログの記事がでていまして、
    それでおじゃましました。

    mixiのニュースに寄せられたコメントの中に
    「強く政治を監視してこなかった国民の無責任が、今になって現れただけのことだろう」というのを読んだばかりでした。
    <たゐ(。。)ん?>という名前の人ですが…
    松下 伸さんが、多くの市民の厳しい監視がいま必要、とおっしゃってますね。 

    不思議な縁を感じます。

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