踏み絵を作るな!

もう梅雨に入ったのであろうか。朝から重苦しい曇り空で、気温もぐっと下がって、あわてて妻に厚手の股引(女性用にはそう言わないか)を穿かせた。私は面倒くさいので、先日取り替えたばかりのステテコ(とは今は言わないか)のまま我慢している。いや重苦しいのは、曇り空だけのせいではない。先日来、例の国歌斉唱問題がずっと重くのしかかっているからだ。
 今朝の新聞各紙をネットで調べてみると、「読売」は既に31日の社説で「最高裁の<合憲> 判断は妥当だ」などというとんでもない論陣を張っている。やはりね、という感じだ。「毎日」や「東京」は少なくとも社説では扱っていない。他紙はどうなっているか調べるのも面倒だが、今どき社説に取り上げるのは野暮と心得ているのかも知れない。最近、私の中ではかつての信頼と輝き(?)を失ってきたきらいのある「朝日」はというと、さすがしっかり社説で取り上げていた。しかし偉そうに言うようだが、「司法の務め尽くしたか」という題のその社説を読んで真っ先に思ったことは、実に上品ですなあ、まさに謙抑的ですなあ、ということだ。
 「謙抑的」などという見慣れぬ(私だけのことかな)言葉は、実は須藤正彦裁判長の補足意見の中に出てくる言葉である。社説に引用されている言葉をそのまま孫引きするとこうなっている。

「強制や不利益処分は可能な限り謙抑的であるべきだ」

 あわてて辞書を引いてみると「謙抑的」とは <へりくだって控えめな> という意味らしい。でも国歌斉唱の強制は合憲という判決を下しながら、そんな補足意見が尊重されると考えたとしたら、それこそ机上の空論であろう。原発周辺の警戒区域にいちど「立ち入り禁止」という貼紙が出されれば、あとは例外など認められない鉄の規則として機能するとは以前指摘したとおりである。だいいちあのはしゃぎすぎの橋下知事ご一統にそんなささやくような補足意見など聞こえるはずもない。
 私がいちばん怖いのは、わざわざ踏み絵を作ろうとするその心根である。かつてのキリシタン時代にわが国に行なわれた踏み絵は、他人の良心を弄ぶ非人間的な拷問の一種だが、しかしそれを案出した側の人間にとってはただの絵である。しかるに国旗や国歌を使って他人の良心を試そうとするやからにとって、それらはまさに神聖なもの、いわば物神化された神であるはずだ。つまり彼らは、キリシタン時代の役人より一ひねり捻った、そう倒錯的な心根の持ち主と言わなければならない。
 あるところに或る陰険な教師がいた。彼は、生徒たちがカンニングする現場を捕まえるため、試験監督をしながら新聞を読むふりをした、そしてその新聞には密かに覗き穴が作られていた、という笑い話がある。この場合、カンニングをする生徒より、その機会をわざと案出する教師の方が、人間としてはるかに性質が悪い。
 先ほど今どき国歌斉唱問題など野暮と思われているのか、と言ったが、今どきとは原発事故でそれどころではないのか、という意味で言った。しかし私にとって、二つの問題は地続きであり、同根なのだ。つまり煎じ詰めれば、二つとも「国歌と個人」という問題に行き着くからだ。換言すれば「国家はどこまで個人の意思を、自由を規制することができるか」という問題に繋がる。
 念のため言うと、私はサヨクでもウヨクでも、チュウドウでもない。強いて言うならコンゲンハ(根源派)あるいはネッコハ(根っこ派)である。欧米の言葉で言えばラディカルだが、訳しようによってはカゲキハとなる。しかし面倒くさがりで臆病な私はいわゆるウンドウなどしたこともないし、恥ずかしいことにデモ行進に参加したこともない。60年安保世代だが出遅れたどころじゃない、そもそも政治的に動いたことなど一度もない。かつて学生運動を派手にやった人たちは今どうしてるんだろう、と懐かしく(悲しく?)思うことがある。あゝそれなのにそれなのに、こんな歳になって、つまり私が死んだあとの日本や世界のことを考えて、こりゃおめおめ死んじゃいられねー、と思い始めたのである。
 数日前、雑居ビルにある飲み屋の帰り、階段を踏み外して、打ち所が悪くて死んだ大学時代の友人がいる。死病と言われる病気と闘いながら頑張っている先輩もいる。その人たちに較べれば、少なくとも口や手はまだ大丈夫。頭は?まっもう少しなら使える。楽隠居なんぞもともとするつもりはなかったが、こんな世の中ではますます楽隠居なんぞしてられない。
 埴谷雄高大先輩は「老人性ボレロ的饒舌」と自らを卑下なさったが、私にもその毛いや気があるので、本題に戻ろう。要するに他人の良心を試す、あるいは弄ぶ踏み絵を作ったり、踏ませたりするのはやめろ、と言いたい。だいいち気持ちわりくないかい? 不健全でないかい? 式典のたびに、良心を試されるという恐怖に苛まれる人が一方にいて、他方には目星をつけた相手が立つか立たないか、歌うか歌わないか、固唾を呑んで監視している人がいるなんて図は?
 ここにはもう国を愛するなんて高尚な感情はひとかけらもない、ましてや意見を異にするする人をもあたたかく迎え入れる度量もない。
 今夜七時からサッカーのキリンカップ、対ペルー戦があった。密かに李忠成選手の出番がないか期待していた。いや特にフアンというわけではない。しかし在日出身から日本国籍を取った彼の活躍は、日本人にとって日本人とは何なのかを考えさせてくれる存在、特に若い日本人にとって、と思っていたからだ。
 要するに橋下ご一統がやろうとしていることは、正にイジメだということである。教室ではなく府議会を舞台にしたイジメ。
 皆さんも覚えておられると思うが、2004年の園遊会で、棋士で東京都教育委員会委員の米長邦雄(当時61歳)が「日本中の学校に国旗を揚げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と述べたことに対し、陛下は「やはり強制でないことが望ましい」と答えられたそうだ。アメリカ大統領制よりかは現在の象徴天皇制の方がいいかも、といった程度の考えしか持たない私でも、人間として真っ当な考え方をする人だな、とは思っている。
 やはりボレロ的になってきました。べつだんお酒を飲みながら書いてるわけではないけれど、今夜はこの辺でお開きにします。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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踏み絵を作るな! への11件のフィードバック

  1. 三宅貴夫 のコメント:

    京都より、おはようございます。
    自称「ラディカル派」のご意見はまったく「イギナーシ」です。
    国歌・国旗は、私たちの国、社会で根源的な課題ですが、緊急な課題ではないと思います。
    むしろ緊急の課題は現在の国会、議員の動きでしょう。
    愕然して言葉も出ない姿です。
    しかも「震災復興のため」と大義名分を挙げるので、ますます醜くなります。
    第2次大戦前、軍部の独走のなかで、国会がそれに従属される前に、延々と政争が繰り返され国会の機能が停止したことが戦争への道を早めたと聞きます。
    歴史は繰り返すではありませんが、同じ道を歩むのでしょうか。
    今度は「日本沈没」へ。
    同時に、圧倒的多数の日本人が、文句を言いながらも、ただテレビで観ているだけなのもまた悲しい。
    国会へデモする人はいないのですか。
    こうなると「救国」のために、日ごろ批判、非難していた官僚と官僚機構に、がんばってもらわなければならないのでしょうか。
    現存する不滅の官僚機構が昔の軍部でないと仮定して託さざるをえないのでしょうか。
    サッカーを観て一時、忘れたい「あーニッポン」

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    私も国会のバカ騒ぎにあきれてますが、しかし原発事故やそれへの愚かな対応(国会の狂乱も含めて)に目を奪われている間に、根源的であるがゆえにより重大な判決が<粛々と>出されたと悔しがってるわけです。おっしゃるとおり、かつてもこうして事態は静かに、国民の気づかぬ間に<滅びへの道>を進んでったんでしょうなー(なんて言ってられませんが)。

  3. 三宅貴夫 のコメント:

    スペインのデモがうらやましい。
    日本で若者がデモをしなければ、高齢者がデモを。
    デモがなければ、政党の玄関に生玉子でも投げるか。
    「民意」を示そう。

  4. 松下 伸 のコメント:

     菅 直人様
     貴兄は、護民官だったはず
     いつから、執政官に化けたのか?
     執政官の貴兄には次ぎの歌を捧げたい

     散りぬべき とき知りてこそ 世の中は
     花も花なれ 人も人なれ

     まだ、護民の志があるなら、エールを送る
     
     命を惜しみ 浪にぬれ 磐城の浜の 玉藻かりはめ
     うつせみの 
     

  5. 松下 伸 のコメント:

     追伸
     最後を間違えました。
     心のままにお読みください。

  6. 三宅貴夫 のコメント:

    朝日新聞に佐々木さんが紹介されました。
    京都では大阪本社版の夕刊で「窓 論説委員室から」の欄で「原発禍と思索家」と題する記事です。
    いい内容です。
    ブログにそのまま転載するわけにはいかないので各自お読みください。

  7. 岡 邦行 のコメント:

    フリーランスの立場で取材・執筆をしている、南相馬市出身のルポライターです。本日の朝日夕刊で佐々木さんを知りました。実は、僕の80歳過ぎの両親も実家(旧・無線塔の近く)を離れず、現在も住んでいます。いくら説得しても「ここからは出ない」の一点張りで、諦めています。
    それはともかく、仕事柄今回の震災は見逃すことができず、この5月から取材を開始。この6月も南相馬市に行く予定です。その際にお会いできればと考えています。ご連絡いただければ幸いです。よろしくお願いします。

  8. アユム のコメント:

    都内の公立校で働いている者です。私はいわゆる「デモをしたくない若者」です。
    しかし、職場の卒業式で、国歌斉唱の際に司会進行の先生が「みなさま、どうぞご協力ください」と言うのも、それが一瞬の緊張感を生み出すのも、口パクせざるを得ない自分がいるのも、ぜんぶぜんぶとても気持ち悪くて悲しいです。可愛い生徒たちの大切な晴れの式に、そんな踏み絵はいらないはずです。
    同じ感覚で「がんばれニッポン!」にも違和感を覚えます。ニッポンを応援してどうするの…?と思ってしまう。
    震災のすぐ後に朝日新聞で佐々木先生のことを知って以来ブログを拝見していますが、そういう「きもちわるい感じ」をそっと上手に表現されていてとてもほっとします。きょうまた朝日新聞で紹介されているのを見て嬉しくなってしまいました。今後とも応援しております。

  9. クッキー のコメント:

    病室から(その十一)八月は死者の月を拝見させていただきました。
    私の出身校で地学の先生をしていた、田代先生が亡くなった事を知りました。
    とても、ユニークな先生でした。就職も推薦をして頂き大変お世話になりました。
    一度はお墓参りをと思っていましたが、原発事故であのあたりは、どうなのでしょう。私の実家は浪江町なので、避難区域です。同級生や先生方が心配です。皆バラバラになり、連絡もできません。無事を祈ります。

  10. 宮城奈々絵 のコメント:

    私は日本が好きです。四季も美しいし、食べ物も地域性があって楽しいし美味しいし。言葉も美しくて好きです。短歌や俳句から滲み出るあの何とも言えない感情を味わうのも好きです。だから、この国を愛してるのか?と聞かれたら、そうかなぁ…と、どちらかと言えば肯定になるのかもしれません。
    でも、愛しているなら国歌を皆で歌いなさい!と命令されたら、歌いたくなくなってしまうのです。
    なぜでしょう?
    何となく、個人がもつ愛国心というものを、国が国歌斉唱として形にさせるのを、気持ち悪く感じるのかもしれません。
    国家と権力…。醜いです。

  11. 三宅貴夫 のコメント:

    「モノディアロゴス」が 1日でもお休みなると何かあったのかと心配しましたたが、幸いfuji-teivoよりのコメントが載っていました。
    それで、Sさんにリンクして政治の話を京都から少し述べさせてください。
    東日本大震災でも元気のない菅さんが、彼に似合わず絶妙は政治取引、権力取引をしたと感心しているのです。
    (以下もネットなど私なりに情報源の基づく)
    「メド」を言って不信任案を否決に追い込み、否決されたら「メド」は福島原発が安定する頃で来年1月頃(そんなに早く来るの?)だ、と具体的時期を表明。なかなかやりますなー。
    彼にしてみれば、採択されてこの「非常時」に総選挙はやる、やってもっとひどくなると心配をしていたのかもしません。同感するところはあります。
    第一、こんな時期に総選挙をして誰が投票場へ行きますか。それに東北地方の自治体の職員も大変だ。福島県は後日ということで基本的人権を「免除」するつもりだったのだろうか。
    沖縄基地取引で醜態をさらけ出し「嘘」も言って、苦渋の選択を強いられてきた沖縄県民を混乱と失望に陥れ、未だに党内権力にしがみ付いているあの金持ちのお坊つちやん前総理が「それはないでしょう。嘘はよくありません」などと自分の事は棚にあげてしらじらしく記者たちの前で話していました。
    菅さんとの密室会談の取引で負けたと認めたくないのでしょう。
    密室会談は記録もなく、日本人の得意の曖昧な取引でどうにでも解釈できる言葉を駆使したのでしょう。
    それにしても半ば過去の政治家かと思っていましたが、マスコミは「菅たたき」のためか、にわかに前総理の意見をさかんに取り上げ紹介するのがよくわかりません。
    「鳩山バッシング」した同じマスコミが。
    それに、本名小澤某という政治屋はマスコミにはもってこいの逸材だからなかなか手放しません。好きなように泳がしておくのでしょう。

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