これまでとは違った生き方を!

モノディアロゴスの特別版とも言うべきわが震災・原発奮闘記、つまり先日までは仮題を『わが闘いの日々』と題していたものは、最終的なタイトルが『原発禍を生きる』となって、今や最終段階を迎えている。今日は、表紙のレイアウトが送られてきたが、白と黒を基調とする実にすっきりしたものに仕上がっていて、さすがプロの仕事と感嘆した。先日は八月十八日発売と書いたような気がするが、編集者から、あれは見本刷りが出来上がる日で、出版は一週間後と訂正が入った。
 その冒頭には、「本書は先に行路社から富士貞房名で出版された『モノディアロゴス』、そして呑空庵版私家本『モノディアロゴスⅡ』~『モノディアロゴスV』に続くものであり、その間たまたま遭遇した大震災・原発事故の渦中にあって書き継がれたものを一書にまとめた」という一文が載っている。つまりこの本は原発事故を前にして、いわば突発的にその戦場報告のつもりで書かれたものではないことをぜひ分かってもらいたかったのである。
 実はそこに挙げられた『V』はまだ編集段階にも至ってなかったのであるが、昨年九月中旬から、震災前までのものでちょうど一冊分かなと見当をつけて言ったまでである。ともかく言った以上は一書にまとめなきゃ、と数日前からネットからワード文書に移して編集しているところだ。といって根がアナログ人間なのでネット画面での作業はきつい。それで昨日、昨年大晦日までのものを一冊に製本してみたのである。これまでのものは、ちょうど一項目2ページから多くて4ページに剪定などして上手く収めてきたが、初期のものに較べて最近はほとんど長さに頓着しないものだから、区切りのいいところでページを変えるとなるとページ数がやたら増える結果となる。事実、大晦日までのものだけでも従来のものと同じ304ページになってしまった。
 さあ困った。これだけで一冊にすると、今年の正月から震災直前の三月十日までの分を『Ⅵ』として新たに作らなければならない。しかしそれだと300ページあたりという従来のものより薄くなる。だったら『V』は12月10日あたりまでとして、ページ割りも従来のように少しゆったりしたものにしようか。
 ところが『V』を読み始めたのだが、これを剪定したりして編集し直すのは、なんだか惜しい気がしてきたのだ。つまり自分で言うのも変だが(それに自画自賛になるが)、このままの形で残したいほど面白いのだ(とうとう言っちゃったよ自慢話を)。そうなると『原発禍を生きる』前までに六冊のモノディアロゴスがあり、『原発禍』は、実質的には『モノディアロゴスⅦ』ということになりそうなのだ。
 まあなんだかんだ言って、本当に言いたいのは、『原発禍を生きる』がもしも好評なら、それと地続き(?)の他のモノディアロゴス各書もぜひ読んでほしいと言いたいわけですわ(なんと図々しい!)
 最後に非常に個人的なことだが(もともと個人的なことしか書いてこなかったよ)今ごろ十和田の息子の家では、Sさんを囲んでの食事が終わったころなのだ。つまり明日はわがばっぱさんと叔父の誕生日で、十和田近くのさるホテルで、ばっぱさんを囲んでのお祝いの会があり、そこに、私たち夫婦の代わりに出席してくれないか、という無茶な願いにSさんが応じてくれたわけだ。そして彼は一日早く今日十和田に行かれ、愚息の一家と前夜祭をしているというわけ。なぜそんな奇妙なことを思いついたかと言えば、皆さんもご存知のように、Sさんは日ごろからばっぱさんの文集『虹の橋』を熟読なさって、息子の私から見ればつまらぬ和歌のいくつかを、実に上手に取り出してくださったから、Sさんを送り込む(?)ことはばっぱさんへのなによりのプレゼントになると思いついたわけである。(ちなみに、私自身はまだSさんにお目にかかったことはない。)
 つまりこれが震災がもたらしてくれた大きな心境の変化というものかも知れない。つまり平常時だったら思いもつかないことを、非常時には案外自然と思いつく。昨日も東京からある客人が見えられ、いつか事態が落ち着いたら、このブログで知り合った人たちの親睦会(出会いの会?)を考えてますと言ったところ、そんな会なら自分もぜひ出てみたい、とおっしゃる。こんなことは平常時には思いつきも、ましてやそれを実行しようなどとは思わないもの。ともかくいいですねー自由にこれだと思うことを、即座に、自然に、やろうとすることは。これ、今だけじゃなく、これからもずっと実践していきましょうよ。そうなれば、この世はもっと住みやすく楽しくなるかも。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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これまでとは違った生き方を! への1件のコメント

  1. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    宮城奈々絵さん、ロドリゲス辻さん、そしてご覧いただいてる皆さん!

     今(30日午後六時)、十和田市近郊の宿屋にいる従弟に電話したところ、今晩の宴の飾りつけをやってるところだということです。99歳になるばっぱさん、94歳になる叔父二人の誕生パーティーです。■■さん、従弟、姪の夫婦、頴美と愛、合計8名のささやかな宴です。私たち夫婦は行けませんでしたが、代理の■■さんが例のサービス精神を発揮なさって会を盛り上げてくれることでしょう。94歳の叔父はしきりにケータイで実況を報告してくれてます。
     ■■さんは、帰京後、いろいろ皆さんに報告してくださるでしょう。老人二人にとっては一種の生前葬みたいなものかも知れませんが、しかし若い《?》私たちも、いつかは必ず死ぬことを考えれば、あるかないか分からない天国や極楽(私は天国は生きている者の心・魂の中に存すると思ってますが)を当てにするより、今生きているうちに、死んでしまったらできないことを、こころを尽くして実行すべきだと思います。そういう風に考えると、戦争も原発もアホらしくてアホらしくて、どうしてあんなものに執着するんだろうと思いますよね。
     あっ、それからチャリコン当日のことですが、■■さんはコンサートに行けないので、その前に音楽事務所に行き、菅さんや川口さんに挨拶なさったそうです。今回の十和田行きも、そんな■■さんの誠実さというか礼儀正しさというか、それを見込んで(?)お願いしたわけです。
     どうか皆さまも、今晩の夕食時のとき、もしビールなど召し上がるおつもりなら、十和田の空に向かって乾杯!と叫んでください、お願いいたします。

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