暑い一日だった。いま六時になるところ。すべての物象の輪郭がはっきりする時間である。蝉の声が聞こえてくる。はて、今年、蝉は鳴いていたのだろうか。ふさいだ耳から手を離したとたん、急に周囲の音が海鳴りのように聞こえてくる、そんな感じで急に蝉の声が意識された。
これまでだって今日以上に暑い日があり、それでもめげずに美子と一緒に散歩や買い物に出かけてきたのに、今日は夕方になるまで出かけるタイミングを失ってしまった。何をしていたんだろう? 一度、十和田から愛の電話があったほか、外部との接触が何もなかった一日。本を読む気力はまだ出てこず、『モノディアロゴスV』の印刷、製本をほぼ機械的にやっているうちに時間が過ぎていった感じだ。
夕方の光、一日のうちでももっとも好きな光だ。なぜかいつも遥かな昔を思い出す。蝉の声がまた意識の中に入ってきた。これまでいったい何万回、夕陽を見てきたか? 365×71? 暗算ができないので、紙に書いて試算してみる。25,915回。もちろん赤ちゃんのときに見たはずもないし、曇り空や雨の日もあるから、その三分の一? 約八千回? それじゃこれから死ぬまであと何回見れる?
これまで歩いてきた町々の夕陽を思い出す。満州の灤平、北海道の帯広、広島、静岡……そして八王子の夕陽。一度はそこを終の棲家と思い定めたあの八王子の家、その浮き巣のような書斎の窓から見た竹薮の中に反照していた夕陽、……そしていま南相馬の夕陽。
二階縁側の窓から見える(百メートルと離れていない!)お寺の屋根に当たっていた陽はいつのまにか陰って、今はもう西の空にわずかな残照だけが見える。一日中ソファーでうつらうつらまどろんでいた美子は、今日は歩かせてあげられなかった。明日はなにがなんでも散歩に連れて行こう。おっと、そろそろ夕食の準備をしなきゃ。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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