もう一つの首相退陣会見は?

たぶん家の外に一歩も出なかったのは、震災後初めてではなかったか。体調を崩したわけでもギックリ腰になったわけでもない。昨日、十和田から予定通り孫たちが来て、その孫の相手をして疲れたわけでもない。ただなんとなく家の外に出る機会を逸したというだけ。それに今日は日曜日、郵便物もなかったし、珍しくこちらから出すものもなかった。夕食のための買出し…あゝそうか、その必要がなったからだ。
 でも昼食後、美子にはクッションをあてがい、襖を開け、その後姿を見ながら、珍しくベッドで昼寝をしたら2時間近く寝てしまった。ここ一週間ほど、これまでにないような疲れを時おり感じていたが(なんだ、やっぱり疲れが溜まっていたんだ)これですっきり疲れが取れた気がした。
 ユウチューブで「菅首相退陣会見」を見た。やるべきことをやった、と自画自賛だが、しかしその首相の座を狙って、四人(五人?面倒で数える気にもならない)の面々のどんぐりの背比べ、さらにそれを陰で操るらしい小沢の動静など、アホらしい体たらくに較べると(?)、菅さん、うまいタイミングで辞めていくなあ、と思わないでもない。ただ正にタイミングよく出た我が『原発禍を生きる』の偽総理記者会見ほどの劇的(?)な結末でないのは、これは残念至極と言わざるをえない、ですなー。(私の偽会見記を読んでから臨めばよかったのに)
 そのついでに、昨日、福島県を訪れたその菅首相が、放射性物質を含む廃棄物の「中間貯蔵施設」を県内に整備するよう要請したことに対して、県知事が「突然の話」だと声を荒げたというニュースを読んだ。
 はっきり言うと、何?突然の話?、それくらい覚悟してなかったの?、と逆にビックリだ。これが県民向けの一応のジェスチャーでないとしたら、あんた何考えて知事やってんの、と言いたい。今回の事故の、確かに極小の一端かも知れないが、責任者(つまり操業停止していた原子炉の再稼動を許可したという意味で)であることは間違いなく、そうだとしたら、ここは(つまり他県などに迷惑をかけていい話ではないので)申し出を受け入れる代わりに、今後(世の終わりまで? いや少なくとも日本国が存続する限り)原発は一切お断りの言質を取るなどして、国(私の言葉遣いでは日本国家)に大いなる貸しを作っておくぐらいのハッタリ(じゃないよね)かますくらいのクビチョウであって欲しいな。
 ついでに言うなら、その施設(もちろん外部への危険性ゼロの堅牢な建造物)に豪華な(?)反原発・脱原発のモニュメント(原発禍記念博物館)を併設させるくらいのパフォーマーであってほしいなー、いや冗談じゃなく。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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