負けるが勝ち

或る先輩が書いた抗議文(草稿)を読ませてもらった。彼は私よりはるかに昔から原発問題を深く考え、一貫して反対を表明してきた人で、ふだんから一目も二目も置いてきた人だが、今回の抗議文を読んで、正直がっかりした。つまり現状のまま南相馬の緊急時避難準備区域指定を解除することに絶対反対だ、と主張しているからだ。
 これは小出氏が参議院の小委員会で言ったことにほぼ重なった主張で、ただ違いは、小出氏が、厳密に科学的に言うなら福島県全体を放棄しなければならない、といっているのに対し、この先輩は、国際放射線防護委員会(ICRP)が2007年に勧告した年間被曝限度量からすれば、南相馬全域が年間一ミリシーベルト(一時間0.114マイクロシーベルト)以下になるまで除染し、子どもたちが安心して暮せる環境の改善を実現したのちに解除すべきだ、と言っていることだ。つまり対象が、福島県全域と南相馬市の違い。

(ただし未定稿との但し書きが末尾にあるので、これを実際にどこかに発表するのか、それとも自らこの抗議文を持って関係諸機関に働きかけようとしているのかは不明である。)

 この抗議文に九月解除の大勢をひっくり返すだけの効力を期待するのはもちろん無理であろう。しかしそれよりも、氏はわが南相馬のことだけを言っておられるようだが、ここより線量の高い県都や郡山についてはどう考えているのか。そちらはそちらで対策を考えろ、と言っているのであろうか。
 もちろん私の言い方は、ここより線量の高い福島や郡山があのように何の指定もされていない、だから我が南相馬も、という子どもの論理(つまりAちゃんやBちゃんが許されているのだから私も、といった風の)に間違われそうだが、そうではない。私の主張は、とりあえずは線量の低い、健康被害の確率の低いところから生活再建そして地域復興を目指して、除染を徹底させながら、少しずつ居住空間を広げていく、そしてその領域内では、のびのびと(?)元気に、市民生活をしていくべきだ、との主張である。
 そのためには先ず一律に同心円で輪切りにすることを止め、正確なモニタリング結果を踏まえて新たな区域設定をすべきであるということである。だから正確な言葉遣いとしては、全面的解除というより実情に合った見直しである。
 だからもともと実情に合わない無意味な輪切りの解除に異を唱えるこの先輩にちょっと落胆しているわけだ。よくチェルノブイリの例が出されるが、そもそも立地条件がまるで違う。要は絶対安全を期して大挙して避難生活を続けるのか(これが現実的に無理であるのは明らかである)、それとも将来健康被害が出る可能性は否定できないにしても、比較的安全と言われる地元に留まって、生活再建を目指すか、この二者択一しかないはずだ。
 話は変わるが、今日のニュースで、例の飯舘村の菅野村長が、またまた賢明な決断を下したことを知った。つまり村から出た放射能廃棄物の処理場を村内に作ることを決めたというニュースである。県知事とは大違いの英断だと思う。
 実は佐藤知事のあの姿勢はとうぜんであり正しいと思っている人が意外に多い。実は私の身近な人も、あんな施設を県内に引き受けるなどもってのほかだ、あくまで国や東電にまかせろ、と主張している。これは一見筋が通っているかに見える。しかし現実的に考えるなら、どこか遠く離れた無人島があるなら話は別だが、結局は他県に迷惑を掛けることになり、そうなると事態はいよいよ紛糾し、一日も早く処分すべき廃棄物が長く危険な状態で放置されることになるのがオチであろう。それなら一見負けに見えても、施設建造費や「原発禍記念博物館」建設費などをがっぽり国からせしめる方がはるかに賢明だというわけだ。
 つまりこれは、先の先輩の論理が一見理に適っているようで、実は現実的にはより大きな損害を被ることになるのと似ている。違うですって? いや同じことです。つまり両者とも妥協せずに理を通すという点では同根である。しかし私の言うのは、相手の懐に飛び込む、つまり汚染されているから、と全面的に拒否するのではなく、とりあえずは住めるところにまずは足を入れ、じわじわと相手を追い出す戦法である。つまり俗に言う「負けるが勝ち」、このブログの常套句を使うなら、当たって砕けろ、ではなく「砕けて当たれ」なのだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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