あっと驚くケンジロー!

昨夜発見した(?)給湯器の故障を直してもらうべく、朝食後、エコキュート(これが給湯器の愛称)を設置した会社に電話してみた。宮城県の柴田町がどこにあるか分からず、もしかして今度の地震・津波で営業休止になっているかも知れないと怖れていたが、電話先の女性の声はいかにも明るく、恙無く営業を続けていることがすぐ分かった。給湯器の型番を告げ、パネル盤に453という数字が点滅している旨を伝えると、調べてから折り返し電話すると言う。しばらくして、その数字はエラー・コードらしく、メーカーさんから直接連絡がいくから相談してください、という電話。
 今度もさして待つこともなく仙台のサービスセンターから連絡があり、明日修理に向かうと言う。同じ機種を扱っている地元の電気屋さんに委託できないのかと聞くと、どうも今度の故障はメーカーでないと手に負えないらしい、それなら仕方ない。たぶん保証期間は過ぎているので、多少の修理代は覚悟しなければなるまい。
 その交渉に手間取ったわけではないのに、なにやかやで一日があっという間に過ぎてしまった。時間の経つのは早いっすなー。あゝそうそう、仕事の合間に(何の仕事? もちろん製本の仕事)、何気なくネットを歩いていると紀伊国屋書店が原発関係書を売れ筋順にまとめて紹介しているサイトにぶつかった。どうせ『原発禍を生きる』などまだ初版を売り切ってないらしいので、ずっと下の方だと思っていたが、ビンゴ! 紹介されている97冊中、何と95番目。お見事!
 それにしても出てますねー、書いてますねー。いま売り出し中の K 氏はなんと5、6冊出している。そんなギラギラした売れ筋本に囲まれて心細そうにしている我が書が可哀相になってきた。でも不思議でならないのは、日本人は(だけじゃないと思うが)よくもそうした解説本、暴露本を読もうとしますねー。いま飛ぶ鳥を落とす勢いの二人の K 氏の講演会が、ここ南相馬でも催されたようだが、どちらにも何百人と言う市民が駆けつけたらしい。震災関係の画報というんでしょうか、大判の写真満載の雑誌も飛ぶように売れているらしい。まるで夏の甲子園特集号を買うみたいに。
 別に自慢になることではないが、そうした類の本など、ただでやるよ、と言われてもまったくもらう気など起こらない。テレビやラジオで脅され、なおその上に本を買いあさるその心理がとっても理解できない。マゾヒスティックな心理としか言いようがない。いや講演会に出かけるのは、教会に神父さんのありがたい説教を聴きに行くように、「善き訪れ」つまり神の御声を聞きに行くのかも知れない。だとしたら、なおのこと分からない。なぜって、聞かされるのは、あなたの住んでいるところは危険ですぞ、内部被曝に気ーつけなはれやー、といった悲観的な内容であるのは聞かなくても分かっているのに
 そこへいくと拙著はなんと風変わりな原発関連図書ですこと。一人の爺さんがすべてに怒りをぶつけて、まさに憤死寸前の姿で佇立しているだけなのですから。どなたかから、ドン・キホーテだったら今度の原発事故にどう立ち向かいますかね、と聞かれ、そんなふざけた質問するならメールなどしないでくれ、と怒ったことがあったが、冷静に考えてみると、この私自身がまるでドン・キホーテ。ただし骨皮筋右衛門でなく中年、おっと間違えた、老年太りのドン・キホーテ。16世紀スペインにオランダから導入された当時最大級の出力を誇る風車に向かってではなく、現代最高の出力を地球に優しく提供してくれるはずだった原発に向かって、突進、いや突進はしないけど思い切り罵声を浴びせかけるだけの(だけの?)武者である。
 そんな落ち武者同然の私を、このブログを読んでくださる皆さんはいつも優しく応援してくださるのが、たまらなくありがたい。また時々は、この集いの外から声をかけてくださる奇特な方もいらっしゃる。今日も夕食時、帯広の叔父が例の明っかるーい声で電話をかけてきて、風呂を浴びてさて夕食を(あるいは順序はその逆だったかも知れない)と思いながら「北海道新聞」夕刊を広げてみて、あっと驚くケンジローもといタメゴロー、な、なんとそこに甥っ子の私と美子さんの大きな写真と近著に触れた記事が出ているでないの。
 先日、道新(北海道新聞の愛称)の岩本記者が遠路はるばる訪ねてくださり、4時間近くもじっくり取材されていかれたその記事のことだろう。道産子の私にとって、これがようやく実現した新聞紙上からの里帰りだ。記事が送られてきたら、先日のように皆さんにもご披露しましょう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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