二階廊下の鴨居の上に作った長さ一間半で二段の本棚がもう満杯になってしまった。今日届いた本を収納するには、洗面所の前の鴨居にもう半間の本棚を新たに作らなければならない。
最初は旧満州関係の古本を集めることだったが、それを真に理解するには同時代中国のことも知らねばと思い、老舎や茅盾や巴金の小説などを買い出した。河出書房と新河出書房から二度にわたって『現代中国文学』(旧版15巻、新版12巻)が出ていたことを初めて知り、ほぼ全巻を安く手に入れることができた。特に後者は武田泰淳や竹内好がかかわっていて、月報での彼らの座談会記録がなかなか面白そうだ。しかしその本探しの過程で、新日本出版社から「中国革命文学選」全15巻も出ており、さらには徳間書店からはもっと若い作家たちを集めた「現代中国文学選集」全五巻もあることを知ってほしくなり、それらも全巻手に入れることができた。
小さな国の似たような文献だったら、数も分野もある程度限られていようが、相手はとてつもない巨人中国。どこかでセーヴしないと、この本探しは際限のないものになりそうだ。それで満州関係は、昨日大枚二万円を出して購入した『「満州国」の研究』(京都大学人文科学研究所研究報告、緑蔭書房、1995 年)、そして中国問題全般は筑摩書房『講座中国』全六巻で打ち止めにし、小説の方は徳間の「選集」別巻、遇羅錦の『春の童話』で一応のピリオドを打とうと思う。まず手に入れたものを読まなければならない。
それにしても、集めたはいいが死ぬまで読みきれるだろうか。いやいやそんなことは心配すまい。それに私が読めなくても息子たち、いや実際の可能性として孫たち、が読んでくれるであろう。
それでとりあえず読み始めたのは、老舎の長編『四世同堂』と、若い世代を代表する史鉄生の短編である。老舎のものは想像通り、いかにも中国的(?)な世界だが、史鉄生の「サッカー」という短編などは、訪中したフランス・ナショナルチームの試合観戦をめぐる小説でジダンやジーコの名前も出てきて、いかにも同時代然とした中国が舞台である。
この歳になって(とは嫌な表現だが)世界理解(とはちと大袈裟だが)の興味・関心の軸を中国に移す(どこから?)ことに、いささかのためらい無きにしもあらずだが、なーに道半ばで倒れたってどうってこたあねえ、少し頑張ってみっか。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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