少女と猫

頴美の実家の近くには山があり、川も近いらしいが、もちろんそれだけでは、窓外にどんな風景が広がっているのか見当もつかない。気温は日中も零下だが、小さいときからの慣れでそれほど寒さを感じないという。小止みなく風が吹く大連の方が体感温度は低いのかもしれない。
 一昨日は同級会に行ったそうだ。いつのときの同級会なのか聞きもらしたが、参加者には地元に残った人が多かったというので(十人ほど)、おそらく小学校時代のそれか。会場には連れて来なかったが、もう三人の子供のいる同級生もいたとか。田舎では25歳なら三人の子持ちは珍しくなかろう。尊敬する先生も参加して、大いに盛り上がったようだ。
 話の途中で、少女時代の話を始めた。日本語がまだ覚束ない彼女にしてみれば、ときには準備した短い話をしたいと思ったのだろう。それは初めて幼稚園に登園した日のこと。先生が数え方の話をしている最中、ぼうっとしていた彼女にとつぜん先生が質問し、それに対してとても可笑しな返事をして皆の失笑を買ったという。ところが、彼女の答えがどれほど頓珍漢なものだったのか、うまく聞き取れなかった。聞き返そうかな、と思ったが、返事に窮したら可哀相と思い、敢えて聞き返さなかった。まっ、いずれ日本に来たときに聞いてみよう。
 やはり積雪は50センチ近くあるそうだ。昨日はどこにも出かけず一日中、大連から持っていった本を読んでいたと言う。私の方も古本屋から取り寄せた巴金の本を読んでいると言ったら大いに喜んだ。彼女なかなかの読書家で、魯迅や老舎なども読んでいる。
 しかし私の方は魯迅以外、今まで中国文学はほとんど読んでこなかった。それでこのところ、旧満州問題の方はそっちのけで、今まではただ名前しか知らなかった作家たちの本を古本屋から取り寄せることに熱心である。数日前から届き始めたのは、前述の巴金の作品である。『家』、『寒夜』、『雪』、『第四病室』、『憩園』、『リラの花散る頃』、『真話集』、『随想録』、『回憶集』など、意外とたくさんあった。とりあえず今日は『リラ…』の中の「少女と猫」を読んだのであるが、これが実にいい。巴金に限らず老舎も郭沫若も、あゝ今まで読まなかったことが悔やまれる。
 ところで巴金だが、頴美の言い方を真似れば、パーチン、それもチンのところは鋭く尻上がりに発音するようだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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