「記憶の国への亡命」という詩の背景について一言付け加えるなら、この詩が書かれた1929年はまさにウナムーノが亡命先にあったということである。1924年、時の独裁者プリモ・デ・リベラの圧制を批判したため、サラマンカ大学総長の職権を剥奪され、2月21日、カナリア群島の一つフエルテベントゥーラ島(皮肉なことに「強運」の意味を持つ島)に追放され、次いで有志の援助を受けてパリに亡命。そして翌25年から帰国が許される1930年までおよそ五年間、スペイン国境近くのアンダイユで憂国と憂悶の日々を送っていたのである。響きがカッコいいのか軽い<乗り>でエグザイル(亡命者)を名乗っている歌のユニットとは訳が違う。
この詩について何ほどかのことを言うつもりだったが、実は追記で自己追放か亡命かについて述べたことで、この詩の一番の問題点を指摘したことになった。つまり彼にとって記憶の国に亡命することは、むしろ自分らしく生きるための、積極的な意味を持つ行為だということだ。すなわち自己をそこへ追放することこそが、死を免れる唯一の道だと言ってもいい。
こう考えていくと、彼が終生追い求めた不滅への欲求も理解できる。彼の哲学、すなわちドン・キホーテの哲学の要諦を彼は自らこう定義する(『ドン・キホーテとサンチョの生涯』(「続編第67章への注」。
「…要は幾世紀も続く名を残すことであり、人々の記憶のなかに生き続けることである。要は死なないことなのだ!…これこそドン・キホーテ的狂気の究極の根であり、根源なのである。死なないこと!死なないこと!」
私がキリスト教に近い位置にあったとき、このウナムーノの強烈な不死への渇望はいささか“うざったい”ものに思えた。しかし今、キリスト教から遠い位置に立ってみると、彼の執拗なまでの不滅への願望はよく理解できる。と言うことは、彼のキリスト教は彼自身どこかで言っていたように(いや、もしかするとシャルル・メレールの『20世紀文学とキリスト教』の中のウナムーノ論においてであったか)スイ・ジェネリス( sui generis) つまり「彼なりの」キリスト教であって、時が時なら、たとえば中世や異端審問華やかかりし十六世紀あたりだったら、もう立派な異端者で、もしかすると、いや確実に、彼はサラマンカの総長官舎で、軟禁状態とはいえ、温かな火鉢の側の穏やかな死ではなく、火刑場での死を迎えていたに違いない。
それはともかく、ここでウナムーノ論に深入りするつもりはなかった。ただ一つ言いたかったことは、なにも不死への願いは、ウナムーノさんとか、どこかの偉い人だけの特権ではなく、私たち皆にとってもとうぜん許されていい願い、いやむしろ誰もがそう望むべきものだということである。たとえば先ほど寝に就いたばかりの、わが生涯の伴侶・美子である。確かに彼女の脳から、たぶんすべての記憶は消えてしまっているに違いない。そして生きている間は、ちょうど一つのエンジンが故障した双発のプロペラ機のように、私の記憶を使っての片肺飛行を余儀なくされている。しかしその彼女でさえ、できるだけ多くの人たちの記憶の中に生き続けることは可能なのだ。
だから昨日、最近知り合ったばかりのSさんの二回目の訪問の時にも、当初は娘や嫁など身内だけに読んでもらうために作った若かりし時の恋愛書簡(『峠を越えて』)を献呈したのである。つまり記憶を失った現在の彼女だけでなく、初めて私と出会ったころの彼女の姿や言葉をSさんの記憶の中に亡命させるためである。
今さら言うまでもなく、このモノディアロゴスの究極の願いもまた、これを読んでくださるすべての人の記憶の国に私自身を追放することである。あなたの記憶の中にエグザイルとして生き続けるために。
予定より長くなってしまって、エントラルゴの本についてぜひお話したいことはまた明日のことになってしまった。ではまた。
先生は恐らく『モノディアロゴス』を書き続けると思います。それは、ある意味、読者である私たちにも必要な事で、今、日本人、日本社会はあまりにも外的なもの、つまり、物質的豊かさ、経済至上主義でここまでやった結果、幸せになれるはずの私たちの多くは、決して幸せになっていない事に気付き始めているのが今の時代だと思います。そして、その完璧な答案を『モノディアロゴス』で発見するはずです。