風景誕生の瞬間

三日ほど前、ライン・エントラルゴの『スペイン一八九八年の世代』に触発されて浮かんだ考えを、ぜひご紹介したいと思いつつ、しかしその前に追放と亡命に触れないわけにはいかず、もたもたしているうちに、なんだか当初持っていた熱気のようなものが次第に薄れてきて、改めて書くには当方のボルテージを相当程度上げなければならないようだ。
 しかしここまで気を持たせたのだから、ともかく書き出してみる。
 京都に哲学の道というものがある。なんでも西田幾多郎がよく散策した道だそうな。今では立派な観光名所になっているようだ。私は行ったことはないが、そんなことを聞くたびに、京都はいいなー、ずるいなー、得だなー、と思ったりする。つまり、たぶん何の変哲もない小道だろうが、そこが歴史の町京都だから、西田が偉い哲学者だから、という理由で、有り余るほどの付加価値(というんでしょうか?)が付いていくという現象。
 つまり風景は歴史やエピソードや、ある場合には物語によって創られるものだということである。偉い人が歩いた道だ、ということなら、今は警戒区域(でしたっけ?)の中にある小高・岡田に、小さな低い丘があり、農家の庭先を抜けて裏山に通じる細い道がある。町に出るための近道だったそこは、むかし土地の人からは般若峠と呼ばれていたという。つまり廃藩置県でその地に土着した元相馬藩士・般若家屋敷の裏道だったところ。勘のいい人なら般若と聞いて、あゝあの有名な作家埴谷雄高さんの実家ではないか、と思うだろう。ビンゴ! でも有名にはならない。だって土地の人でさえ知らないんだから。もしそこが京都、そこまでいかなくてもたとえば…まっいいでしょ。ともかく言いたいのは、名所旧跡にとどまらず、風景そのものが極めて人間くさい代物だということである。もっとはっきり言えば、自然はごろりとそこにあるわけではないということ。この話をしていくと何時間あっても足りないから、一つだけ分かりやすい例を挙げよう。
 たとえばあの富士山。われわれが富士山を見るとき、手付かずの自然を見ているわけではない。美術に詳しい人なら、横山大観の赤富士というフィルターを通して富士山を見、隣りのおっちゃんは銭湯の壁に書かれた富士山を通して見ている。だからそんな手垢のついた富士山を嫌って、太宰の治ちゃんは「富士には月見草が似合う」などと言ってのけたのである。
 ここで、先日も言ったようにまことにブッキッシュな訳ではあるが、エントラルゴの文章を引用する。

「風景とは…自然の一断片が、人間の視線、つまりそれに秩序と形象と意味を与えるわれわれの視線によって風景となるのだ。物思う目なしに風景はない。人が大地を見つめると、今まで物言わぬ土くれであったもの、石とか木とか緑とから成る空間的付加物であったものが、たちまちその存在の枠となるのだ。…自然が人間の生、すなわち内面性と歴史の縁取りに変質するこのはかないわずかな時間こそ、風景誕生の決定的瞬間なのだ。…」

 まだまだ引用を続けたいが、風景とは何か、についての大筋はご理解いただけただろう。
 では相馬のように年に一度の野馬追いでしか知られていない………いや待てよ、南相馬はあのクソ忌々しい原発事故によって日本中、いや世界中に知れ渡ってしまったぞ。先日などスペインのテレビによってもミナミソーマの名前はスペインのみならずスペイン語圏全体に知れ渡ったぞ。
 よーし逆手にとろうじゃないの。南相馬がどれだけ素晴らしいところか、海と山、そして羽根田さんが彗星まで発見した美しい夜空に恵まれたところ、相馬盆歌に歌われているように「道の小草にも米がなる」豊かな国……なにーっ!今じゃ放射能に汚されているだってー!心配すんな、幸い傷は浅かった、何年かかったって必ずもとのようになる、いやしてみせるって。
 自然はともかく、南相馬は歴史的にも人間的(?)にも実に魅力的なところだっせ。おや、どこの方言を使うんだろ。相馬弁という実に愛嬌のある言葉もあるのに。いやいや、本当に言いたいことからどんどん離れていく。本当に言いたかったことは、私たち自身が新しい相馬の風景を創っていかなけりゃならないということである。その意味で、スペインの「九十八年の世代」がいかに魅力的なカスティーリャの風景を創造していったか、実に示唆的であり教訓的である。説明なしに突然「九十八年の世代」などと言ってしまったが、要するに一八九八年の米西戦争に負け失意と混迷のどん底に突き落とされたスペインの再生を目指して立ち上がった一群の文学者・知識人を指す言葉である。そう、南相馬もいま完膚なきまで痛めつけられ自信を失い誇りを傷つけられている。
 しかし負けてたまるか! 大企業の下請け工場を誘致して雇用を生み出し、経済的な復興を目指すのも大いに結構、どんどんやってください。でも本当の復興、真の復興は精神の、心の、魂の復興ですぞ! そのためには先ず私たち自身が南相馬の魅力、価値、希望を見つけなければならない。そうやって考えてみれば、いっぱいあります、素晴らしい宝が。
 美しい風景、魅力的な風景は「物思う目」あってこそ見えてくるもの。

 ちょっと飛ばし過ぎました、今晩はここまで。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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