むかし勤めていた大学がセクハラ裁判で大揺れに揺れているそうだ。発端のセクハラ非常勤講師も、それを大学側に告げた別の非常勤講師も、それをでっち上げだと「暴言」をはいた教授も、もちろん大学側の偉い人たちも、幸か不幸か私自身みんな知っている。せっかくの「ご報告」をでっちあげだと言われ「名誉を傷つけられた」と訴えた非常勤講師は、一審で敗訴したが、驚くべき粘り腰で今回、東京高裁の控訴審で勝訴した。詳しく過程を追っていたわけではないので、軽はずみなことは言えないが、しかし他人事ながら後味が悪い事件だ。発端の教師を知っているが、風采の上がらなぬ(別段セクハラに風采は関係ないが)男で、けしからぬ行為に及んだわけではなく、教員免許を獲得するには自分の推薦が必要だと、学生たちを喫茶店に呼び出して「お茶した」くらいだと聞いている。なんともみみっちい話で、そんな話におめおめ乗っかっていった学生も学生である。逆にこのQP男(禿頭で幼児体型だからだが)の横っ面をひっぱたくような学生がいなかったのは残念至極としか言い様がない。
 だから同性として(つまり「別の非常勤講師」も「暴言教授」も女性である)そんなつまらぬことを騒ぎ立てるの愚をなじった教授の気持ちが分からぬでもない。実際、昨今このセクハラ問題で、多くの大学が愚劣きわまりない狂想曲を奏でている。「別の非常勤講師」は昔からうぬぼれの強い、自分を売り出すことにかけてはえげつないほどの女で、教授は同性として腹に据えかねたのであろう。だが結局いちばん悪いのは、責任逃れに汲々として、騒ぎを大きくしてしまった大学当局である。その無責任構造のことなら、私自身目をつぶってでもまざまざとなぞることができる。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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