叢書第二期ラインアップ

今日の夕食前に例の叢書の第二期全巻の装丁がとうとう終わった。本当はこの叢書の出版と踝を接するように始まった「アメリカ年代記」叢書にも手を伸ばすつもりだったが流石に疲れた。この方は「イストリア16」という出版社のもので、手元にあるものだけでも全40巻の大シリーズで、おそらく1992年の新世界発見五百周年を目指しての出版だったはずだ。実は手元にあるのは確かに40巻だが、ネットで調べるとさらに刊行が続いて50巻あたりまで出たようだ。
 いま不用意に新世界「発見」などと言ったが、たぶん現在は新世界との「出会い」という言葉に変わっているかも知れない。つまり「発見」などという表現は旧世界人間の思い上がりであり、本当はすでに独自の文化、それもある部分では旧世界をはるかに超える高度の文明を持った世界だったからである。
 昨年十二月に亡くなった石原保徳さんの「新世界問題」をめぐっての、従来の世界史観への革命的とも言うべき問題提起についてはいつかしっかり見届けなければならないが、未だにその準備に取り掛かってもいない。ともかく今は、「新世界問題」は実は本格的な再検討がなされていない最重要問題なのだとの指摘だけにとどめておく。
 いや少々問題を先走って紹介したようだ。今日はともかく、「スペイン幻視者・異端者・アウトロー叢書」の第二期のラインアップを御披露したい。先日もお断りしたが、内容を確かめもしない段階での、かなりいい加減な訳を施しての題名も含まれていることをお断りしておく。、

  1. 修道女や聖女のたぶらかし
  2. サン・ビセンテの烏
  3. 奇怪な聖徒列伝
  4. 明かされた有
  5. アンダルシーアの農業社会主義
  6. 生命の水と世の終わり
  7. 独立戦争
  8. サクロモンテの鉛の書物
  9. 極東の不思議物語
  10. スペインの修辞学
  11. パトロシニオ尼
  12. レアンドロと反アリウス派闘争
  13. 黄金世紀の夢とイデオロギー
  14. スペイン異端審問史序説
  15. アラビア文学と建築
  16. 民衆演劇・操り人形
  17. 人間本性論
  18. カンデラスとコンソルテス
  19. マドリードの水脈
  20. ピカトリクス
  21. 錬金術から汎神論へ
  22. アンチ・キリスト
  23. 観想の擁護
  24. 政治的駁論
  25. ゴメス将軍の探検隊
  26. 完全な医師の対話

 つまり全26巻を合本にして13巻にまとめたわけである。ところで最終巻の最後にある本叢書の全リストの25番は「運勢の書」となっているが、手元にある第25巻は確かに「ゴメス将軍の探検隊」なのだ。単なるミスか、それともそこに謎が隠されているのか、おいおい(これ呼びかけてるんと違います)調べてみなければなるまい。ともあれ今晩はタイトル紹介まで。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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叢書第二期ラインアップ への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     異端叢書のことは私にはわかりませんが、『モノディアロゴス』の中の言葉がいつも気になってます。「伊東静雄の『秧鶏は飛ばずに全路を歩いてくる』。のクイナのように、不器用に、省略せずに、非効率的・非効果的に生きることを大切にしたいのである」。2002年7月12日「廃材利用の帝王」。同じようなことを「古びた活字本をじっくり味わうなどして、人間らしい感覚を取り戻すことを各自それぞれの流儀で工夫しなければならない」2012年5月10日「秧鶏は飛ばずに」。

     先生は異端叢書を通じて私たちに伊東静雄の詩の意味の大切さを伝えたかったのかも知れません。

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