からつ塾

古本整理も、ときに次のような大きな出会いに繋がることがあるので馬鹿にならない。ことの発端は、書棚の隅にあった『[トンネルの向こう側へ]』(思潮社、1984年)という地味な装丁の200ページほどの本である。題名に[ ]という括弧が付いているのはどうしてか気になりながら読み始めたのだが、小説としては実に風変わりな小説である。作者はマリアヘスス・デプラダ、訳者は大嶋仁。作者紹介によると1951年、スペインのサモラ市出身とある。巻末の訳者あとがきを見ると、1978年、バルセロナの書店でセルロイドの表紙にゼロックスコピーを束ねただけの粗末な原書に出くわして読み始め、たちまちその魅力に捉えられ、ついには翻訳までするに至ったということだ。
 実は私、まだこの小説を読み終えていない、というより読み始めて直ぐ、以下に述べるような出来事に遭遇して、そちらの方に関心が向かったのである。だからこの小説については、また別の機会に書くことにしよう。
 ところでわが国のスペイン関係事情については普通の人より少しは知っているつもりだが、この本の作者についてはまったく知らなかった。おっと申し遅れたが、この小説は日本文化との出会い、特に志賀直哉の文学との出会いに大きく影響されて書き出されたものらしく、だとしたら彼女(そう、名前から推してとうぜん女性である)について少しは調べてみるのが礼儀というものであろう。
 それでさっそくインターネットで検索。すると彼女、現在は日本に、それも唐津にある塾に関係していることが分かった。「からつ塾」というのがその正式名称で、さらに調べていくと、なんとそこには彼女だけでなく訳者の大嶋仁(ひとし)氏も講師を勤めていた!
 メディオス・クラブの精神を生かすには、将来南相馬に市民塾のようなものを作りたい、そこには私が埴谷・島尾記念文学資料館でやっていたような文学講座だけでなく、地元の歴史や文化や伝統についての講座、さらには外部から講師を招いての、大学並みの本格的な種々の講座のできる市民大学があれば、と思っていた。だから、この機会を逃さず、この「からつ塾」とお友だちになりたい、と思ったのである。
 善は急げ、とばかり「からつ塾」にメールを送りました。これまでの経験からすると、こうした問いかけにきちんと応えてくれる組織は滅多にない。地元の公共機関でさえ、ほとんどの問いかけは無視される。悪気はないのかも知れないが、要するにそうした問いかけにしっかり応じる仕組みができていないのであろう。たいそう大事なことなのに残念である。しかしこの「からつ塾」は違っていた。
 メールを送って数時間後に、塾の事務局長さんからお返事が届いただけでなく、いまカナダに出張中の大嶋ご夫妻にも連絡を入れます、との回答があったのである。で、その際、密かに私が想像していた通りの事実が判明した。つまりモントリオールで大嶋氏とご一緒の方こそがマリアヘスス・デプラダさんその人だったのである。その詳しいいきさつはもちろん知らないが、翻訳を通じて知り合い、ついには生活を共にするようになられたのであろう。めでたしめでたしである。
 そして何とその大嶋氏からもほどなくメールが届いた! そのメールの中で氏は次のように書いておられる。

 「南相馬の名前はニュースではよく耳にしてきましたが、そうした被災地においてこそ、知的なレベルを高める塾の活動は、実は非常に大事なことだろうと勝手ながら考えています。有形財産は災害で失われることがあっても、無形財産は永続するからです。」

 まさにその通り! 南相馬の真の復興は、経済的なそれよりも(もちろんそれも必要だが)精神的な復興、言葉の真の意味におけるルネッサンス(再生)が必要なのだ。唐津には地方都市のあるべき姿がすでに実践されその成果が存分に得られてきたのであろう。この先輩塾からの力強い応援が約束された今こそ一歩を踏み出すときである。今日の夕刻、さっそく西内君が拙宅に来てくれ、彼と今後の作戦をいろいろと話し合ったところである。といって、私はいつもの通り彼に「おんぶにだっこ」ではあるが、少なくとも気だけは張っている。
 最後に、いい機会なので、「からつ塾」のホームページから大嶋ご夫妻の略歴、そして「からつ塾」の今年度の講義予定をご紹介しよう。

大嶋 仁(おおしま・ひとし)
1948年生まれ。東京大学大学院博士課程(比較文学比較文化)修了。バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリで教鞭をとったあと、現在、福岡大学教授。からつ塾発起人。
 著書 『心の変遷 -日本思想をたどる-』(増進会出版)、『福沢諭吉のすすめ』(新潮選書)、『ユダヤ人の思考法』(ちくま新書)、『正宗白鳥』(ミネルヴァ書房)などのほか日本思想史(※フランス語とスペイン語)がある。

マリア・ヘスス ・デプラダ=ビセンテ (Maria-Jesus De Prada Vicente)
スペイン国サモラ県サモラ市生まれ、フランコ時代にフランスへ亡命。パリ国立東洋言語文化研究所で日本文学を修め、その後福岡大学で博士課程に進学。文学博士となる。その他、東京浅草「人形の久月」より木目込み人形の教授資格を取得。
 著書に「日本文学の本質と運命」(九州大学出版会 2003年1月)「ゆらぎとずれの日本文学史」(大嶋仁との共著 平成17年 ミネルヴァ書房)がある。現在、福岡大学非常勤講師。

★平成24年(2012年)からつ塾講義予定

○第81回講義1月「史料で読み解く虹の松原一揆の実像」山田洋氏
○第82回講義2月「(日韓の)新たな未来を築くには何が必要か」朴裕河(ぱく・ゆは)氏(韓国・世宗大学教授)
○第83回講義「日中関係における靖国問題:その構造的要因」佐藤治子氏(大阪大学准教授)
○第84回講義5月「3.11以後のまちづくり・人づくり―NPO法人「鎌倉てらこや」の活動報告 」池田雅之氏(早稲田大学教授・NPO法人「鎌倉てらこや」理事長)
○第85回講義6月「佐賀県東松浦半島の玄武岩中にレアアースを含む新鉱物を2種発見」上原 誠一郎氏(九州大学大学院理学研究院地球惑星科学部門 助教・理学博士。
○第86回講義10月「人間はなぜ、自然にひかれるのか」宇根豊氏(元・農と自然の研究所代表)
○第87回講義12月「脳科学と文学」大嶋仁氏(福岡大学教授・からつ塾発起人)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

からつ塾 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     大嶋氏の講義(「今日からみた福沢諭吉」平成16年4月19日)を視聴しました。非常にわかりやすい講義なのは物事の核心をあらゆる角度から検証されているからなんでしょう。福沢諭吉が母の影響で浄土真宗に理解を持っている話は意外でしたが、これからの時代は宗教が人類にとって大きな精神的役割を担うという考えは、今にも通じる見識だと私は思います。

     先生の考えられている方向性と「からつ塾」の目指しているものとは全く同じもののように思いました。

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