右のコメント欄で上出さんが83歳のおばあさん、つまり東北のばっぱさん、の飄々とした面白さをたくまずして伝える見事な描写に先ず感心した。辛い労働奉仕も、素晴らしい出会いがあるのでやめられません、との述懐もなるほどと納得させられる文章である。
そこにも書いているように、彼が労働の合間に拙宅に寄られた折、話がたまたま埴谷雄高さんのことに及んだ。私が『死霊』はその難解さは夙に有名だが、でもあれはユーモア小説としても読めるなどと何の根拠も示さず言ったところ、上出さんもそれにはまったく同感だということになった。あの時は言わなかったが、いまついでに尻馬に乗っかって言えば、インキノフ(「陰気」とロシア風の名前の組み合わせ。文学者仲間のあだ名だった)の代表みたいな島尾敏雄の暗―い小説『死の棘』なんかも、不思議なユーモアに満ち溢れている。たとえば情事の一部始終を執拗に問い詰める病んだ妻の追求を避けようと自殺の真似事をする夫の描き方など、実は涙が出るほどの滑稽さをかもし出している。
ところでどこの地方にも独特なユーモアがあると思うが、私見では東北のユーモアはずしりと重い。たとえば関西の「お笑い」とはまったく異質と言ってもいいユーモアではないだろうか。ダサい? そう確かにダサい。ダサいけれど、実に人間的な面白さに満ちている。
少しずれた例になると思うが、東北のユーモアは、たとえばフランス文化の洗練されたユーモアとは対照的なスペイン文化のどしりと重いユーモアに一脈通じるものがある。唐突な例かも知れないが、棟方志功の版画を見るとき、それと同質のユーモアを感じる。伴淳や、最近はくだけ過ぎの嫌いがある西田敏行や加藤茶…おやおや次々と例を出してはみたが、まだ考えがまとまっておりません。いつか「東北ユーモア論」を書くことを約束して(この種の約束は守られたためしがないけれど)この辺で止めておきましょう。でもついでですから、東北的ユーモアのつまらぬ例として、十年ほど前に書いた駄文をご紹介します。
あんにゃげーだ
小学五年生の秋に北海道(帯広市)から相馬に移り住んだので、私の相馬弁は生粋のそれではなく、あくまで学習したものである。といって今では生粋の相馬弁などというものは存在しないのかも知れない。確か地元のインターネット上に「相馬弁保存会」とか「研究会」のようなものを見かけたことがあるので、そのうち探索してみよう。
そうした本物の方言以外にもそれぞれの家庭や集団特有の、方言というより隠語に近いものもある。たとえば、「あんにゃげー」である。
隣りの小高町 [現在の小高区] に母方の親戚がかたまって住んでいる集落がある。そこに母の従兄のSさんがいた(亡くなられてからかなりの月日が経つ)。たくさんの面白いエピソードの持ち主で、あるとき葬式に出かけようとして、家の人に厳重に注意された。「えーが、向こうさ行ったら決して笑うなよ」。思えばこの人に随分と意地の悪い注意をしたものだ。案の定、Sさんは葬式のあいだその忠告を思い出してどうにも可笑しくなってきた。腿をつねったり仏様の生前の真面目な顔を思い出そうとすればするほど、苦しいまでに可笑しさがこみ上げてきて、とうとう押入れの中に逃げ込んだなどの失敗話。
このSさんが子供のとき、あんにゃ(兄のこと、ちなみに姉はあんちゃ)といっしょにお呼ばれして、さんざっぱらじんだ餅 [ずんだ餅と発音される。仙台を中心に食べられる青豆をつぶした餡を絡めた餅] を食わされた。そこであんにゃのわき腹をつついて言ったそうな。「あんにゃ、げーだ」。いつからか我が家でも、おなかが一杯のときに「あんにゃげーだ」と言うようになった。
(2002/7/13)
ユーモアの効用についてヒルティがこんなことを言っていたのを思い出しました。
「愚直で厚かましい人達に対しては、三つの自己防禦の方法がある。まず粗野であるが、これは自分の品位をおとす。次には冷淡であるが、これは人間的でなく、良心にやましさを残す。それからユーモア。この最後の方法だけが、真の精神的優越を示すものだ」。