昨日は二つも珍しいものを受け取った。一つは、座間に住む友人のオエストさんから届いたミカンである。でもこれは店で買ったものではなく、座間のお家の庭でできたミカンである。以前、何度か彼の家を訪ねたことがあり、キュウイの木があったことは覚えているが、ミカンの木が植わっていたとは知らなかった。スーパーなどで見かける色や形の綺麗なものとは違って、見栄えはあまり良くないが、しかし食べてみてそのしっかりした味(この言い方、料理評論家みたいっしょ?)に驚いた。適度な酸味があり、店で買うミカンに比べると数倍濃い味がする。20数年前、あの家に移り住んだときに植えた木がこんなに美味しい実をつけるようになったのだという。
珍しい第二のものは、今年の六月に亡くなられた作家・眞鍋呉夫さんのお嬢様優さんから送っていただいた『不戦、だから不敗』というDVDである。私も一度眞鍋宗匠の家で会ったことのある近藤洋太さんの、その息子さんの映像作家夏樹さんが作ったものである。昨秋、つまり眞鍋さんの死の八ヶ月前、練馬区南田中のご自宅での療養中、ベッドの上に座って「文学的出発から現在の社会情勢まで飽くことなく話し続けた」その貴重な記録である。
確か退院後間もないころのはずで、相当に衰弱され、もしかすると痛みも感じておられていたと思うのだが、カバー解説にもあるように「その眼差しはいつのまにからんらんと力を増し」ていく。宗匠の書かれる文章もそうだが、その話にも不思議な力があったことは、芭蕉庵での連句の会でもいつも感じていた。
九州男児という言葉がある。いわゆる侠気(おとこぎ、男気とも書く)の一つの型と思うが、私自身は実はあまり好きでない徳性である。自分の中には薬にしたくとも無いものだからかも知れない。だから「当たって砕けろ」ではなく「砕けて当たれ」という言葉が好きなのかも知れない。執拗に、一見負けているようで実は負けていない、そんな戦い方が…たぶんこれは私だけでなく、東北人特有の「侠気」の変形ではないかと思っているが、しかしこの言い方には多分に負け惜しみが入っている。
私が眞鍋宗匠のうちに漠然と感じとっていたものは、その侠気であったかも知れないと今は思うのだが、しかし宗匠のそれに対しては一種の憧れに近い親しさを覚えていた。東北人・島尾敏雄もたぶん眞鍋さんに対して、私と似たような感懐を抱いていたのではないか、という気がする。
いやいや話は思わぬところに行ってしまったが、今回DVDを観て強く感じたのは表題にもなっている「不戦」という言葉に込められた眞鍋さんの深い想いである。ひとり語りの中でも触れておられたように、戦争末期、眞鍋さんは長崎県の高島という無人島に近い島で高射砲一門すらない守備隊の兵士として終戦を迎えた。頭上を我が物顔に行き来するB29の編隊に文字通り手も足も出なかったわけだ。
もちろん宗匠のおっしゃる「不戦」は、そうした馬鹿げた戦に国民を巻き込んで行った大本営や国家への激しくそして厳しい「否」に貫かれている。だからいま総選挙に打って出ている(どこかの愚か者は「取り戻せ、ニッポン!」などとホザイテいる)、顔触れは新しいがその背後に憑きまとう軍国ニッポンの亡霊どもをどう思われていたか、ぜひ聞かせていただきたかった。
鉄帽に軍靴をはけりどの骨も
戦争を主題とする宗匠の句を解説者は三句ほど紹介していたが、こちらの耳が遠くなったせいか良く聞き取れなかった。テロップではっきり画面に入れて欲しかったが、いずれゆっくり宗匠の句集から探すつもりだ。
冒頭、二つの珍しいことと書いたが、実はいちばん不思議なのは、その二つが重なり合い響き合っていたということの方だ。つまり今回ミカンを届けてくれたのが、かつて私たち夫婦と一緒に、連句の会の連衆(れんじゅ)の一人だったオエストさんであり、その彼が、むかし同じく自分の畑(?)で作ったゴボウを宗匠に届けたことからあの名作『雪女』の中の一句が、おまけにこんな詞書まで添えられて生まれたからである。
(「雁の会」の連衆柔石ロベルト・オエスト子より丹精の泥ごぼう届く)
オエストの牛蒡の穴の月夜かな
そうっ、もしも私・呑空がもっと俳句の才に恵まれていたなら、今は亡き宗匠に倣ってさっそくミカンの句を一句ひねり出していたであろうのに…いやいやそんなことより、白状しますと、宗匠の作品の中にしっかり名前まで詠われたロベルトに強い嫉妬を感じているんであります、はい。