先ずは心の除染を!

先週の日曜日、すぐ隣りのカトリック教会で行なわれた「日本カトリック部落差別人権委員会」というグループの春季合宿で一時間半ばかりお話をしてきた。どういう委員会でどういう活動をしてきた会なのかは知らないが、その会のお世話をしている一人のシスター(昨年、駅近くに設置されたカトリック・ボランティアセンター担当)に頼まれてのお出ましだ。
 ちょうどミサが終わったらしい聖堂の中で、しかも祭壇にお尻を向けてお話するのはいささか恐れ多い気もしたが、しかし話していくうちそのことはすっかり忘れ、時に持ちネタの駄洒落、さらには例の(?)終末論とスカトロジーの相関関係にまで話が及んで、あとから反省したがそれこそ後の祭り。
 それはともかく、日ごろ話し相手に恵まれないために溜まりにたまった数々の思いを際限なく話すのは避けたいと自戒していたが、しかしむかし取った杵柄というか、1コマ90分の体内時計がきっちり作動して、終わってみたらちょうど一時間半であった。西は広島あたりからの人もいるらしい合計30名近くの参加者は、大部分は私ぐらいの年配の人だったと思うが、その人たちに向かって言ったことをまとめにまとめて(この言い方埴谷大先輩に似てきたが)言うなら、遠方から見れば確かに南相馬は被災地・悲劇の町だが、私のように初めから動かずに定点観測をしてきた人間からすれば、8割がたは喜劇、それも質の悪い喜劇の町だということ。つまり愚かな行政と、自ら考えることをしない住民による喜劇である、と。
 放射能による死者は、少なくともこれまでのところゼロだが、慌てふためいての自主避難はまだしも、病人や老人の半ば強制的な移動もしくは移送は、ある場合は医師法違反どころか犯罪に近いものがあった。益体も無い事故後検討会とかで、南相馬はなぜ293名もの病人や老人の死者が出たんだろう、なんてすっとぼけた発言を、何の批判も加えないで報道するマスコミには、怒りを通り越して開いた口がふさがらない、などの話もした。
 被災者の一人の、苦しい体験談などが聞かされるだろうと思っていた参加者たちも、祭壇を後ろ盾に怒れる一人の老人が矢継ぎ早に悲劇の町の実態を暴いていくのを、たぶんあっけにとられて聞いていたのではと心配したが、後日、主任神父さんから皆さん喜んでおられましたよ、と聞き、ほっと胸を撫でおろした(古臭い表現だが)次第である。
 ところで話は変わるが、午前中、気になっていた例の郵便局宛ての手紙を何とか書き終えた。原町郵便局にはどうせ午後出かけなければならない用事があったので、窓口に置いてきてもよかったのだが、今回はきちんと90円の切手を三通それぞれに貼り、郵便番号・住所もしっかり調べて書いて投函してきた。どういう反応があるのか楽しみでもあるが、その文面を保管しようとわがパソコンのドキュメント収納箱を覗いてみたら、これまでも3通ほど郵便局宛てに書いた抗議文が残っており、それらには文書でのまともな返答など無かったことを思い出し、とたんに興も醒めてしまった。
 それに追い討ちをかけるように、午後の配達で福島県保険福祉部・健康管理調査室というところから分厚い大型の封筒が私と美子宛てに二通も届き、中を開けてみると、「県民健康管理ファイル」というものが入っていた。A4の文書が入る立派なファイルである。福島県と福島医大が主管する「県民健康管理調査」に関する結果などを保存して「家庭用カルテ」として使ってくださいということらしいが、申し訳ない、別の書類入れに流用するつもりだ。
 過去二回ほど送られてきた調査票はいずれも破棄した。それらは外部被曝線量などを推定するための資料にするらしいが、はっきり言って当時のことなど思い出したくもないし、それを記録して届け出ることもお断りしたわけだ。将来のための基本資料に役立てたいだと? おいおい、またこんな事故があると想定してるんかい? こちとら、放射能のことなど一日も早く忘れたいと、これでも必死に生きている。で、膨大な量の数字を集めて、統計表を作って、それでどうしようってんだい?
 こちとらの願うことは、ただ一つ。一日も早く福島県、いや日本中のすべての原発を廃炉にし、すべての有害廃棄物を最終処理場に埋めること、それもどんな地震にもびくともしないところに、日本科学の粋を結集して絶対安全な方法で。つまり世界に先駆けてパンドラの箱の蓋を閉めることだ。
 放射能のことに限らず、日本は(だけじゃないが)すべてのことに数値が優先する国に成り下がっている。たとえば教育である。日本の学校の機能というか役割の半分以上は数値に関わっている。つまり成績評価とその数値の処理や保管に大部分のエネルギーが使われている。いまさら言うまでもなく、教育とは教える者と教えられる者の、時にはその関係が逆転するほどの優れて人間的かつ生命的な出会いであり対話である。それ以外の雑事は最小限にとどめらるべきもの。ところがいまや教育は成績評価と統計と意味のない比較が主戦場の世界になってしもた。
 そしてその成績を数値化するための試験問題に間違いがあると言ってはペコリ平謝りのパフォーマンス、そのデータが紛失したといっては謝罪会見。数値やデータが主役で、生徒や教師は脇役の教育現場。
 むかし現役の教師だったころ、或る大学に傑作な先輩教授がいた。本当かウソかは知らないが、学生たちのもっぱらの噂は、あの先生、答案など採点せず、机の上から答案を滑り落とし、いちばん遠くに飛んだ順に成績決めるんだって。まさかとは思ったが、あの先輩なら不思議でないかも、と思った。あまりに不真面目ですって? でもねー学ぶということは、教場での教師の教えや、本を読んでの新しい知解によって次第に広い世界が開示されていくこと、そしてそれに興奮し喜び、さらに広い世界へ絶えず開眼していくことであり、それ以外のことはすべて二義的な付け足しではなかろうか。ところがいまや学校教育は生徒の記憶の程度を数値化するつまらぬ記録装置に成り下がっているのだ。
 今時の病院も、患者の問診や触診はほとんど行なわれず、とりあえずはCTスキャンとか種々の検査の数値化が主な仕事となっている。これからいろいろお世話になるところだから、あまり病院の悪口は言いたかないけど、学校も病院も、いずれもいつのまにか数値とデータが幅を利かせる世界になってきているのである。
 この話、それこそ際限なく続きそうだからこの辺で止めておくが、表題の意味について一言。先日の会でも言ったことだが、南相馬のかなりの人たち、とりわけ幼い子供さんを持つ若いお母さんたちに、いま最も必要なことは、懇切丁寧なカウンセリングではない。定期的に市を訪れて母親たちの育児相談に乗ってくれている知り合いの心理学者もいて、まことに言いにくいし暴言と取られるかも知れないが、ぶっちゃけた話、それら心配性のおかあさんたちにいちばん必要なのは催眠術師の派遣である。つまり「さあ、あなたの頭の中の放射能に関する思い煩い、これから三つ数えるうちに、遠くに飛んでいきますよ、いいですか、ひとーつ、ふたーつ、はいっ、飛んでいきましたよ、さあもうあなたの頭の中に放射能はありませんよー」

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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先ずは心の除染を! への2件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生が教育問題を言われていますが、同じことを2002年8月30日「本末転倒」の中でも指摘されています。つまり、10年以上前から「学校教育は生徒の記憶の程度を数値化するつまらぬ記録装置に成り下がっている」わけです。私はこの事と「心配性のおかあさんたち」とは密接な因果関係があると思います。数値とかデータは物事を判断する時の材料にはなりますが、それで物事を割り切って結論付けるところに大きな問題があるんじゃないでしょうか。実生活は非常に複雑な条件が重なり合って成り立っていますから簡単に数値やデータで割り切れない事が多々あります。私は南相馬市の放射能の数値を詳細に把握していませんが、先生の判断は正しいと確信しています。

  2. 瀧 憲 志 のコメント:

    学校も病院も「数値化」されていると嘆いておられます。
     わたしも、全く、同感です。 

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