一気に時空を超えて

さあ、何からご報告しましょうか? 嬉しいニュースたちが、ほらっご覧のようにメジロのように押し競(くら)饅頭をしてます(つまり目白押し、古っ、そのギャグ!)。
 先ずは昨日の朝日の夕刊の「窓」に載った浜田さんの、すみません無断引用です、文章から。

  「窓」論説委員室から――原発禍がつむいだ縁――

 韓国の写真家、鄭周河(チョンジュハ)さん(54)が福島県南相馬市を撮った作品展「奪われた野にも春は来るか」を見に、10日に同市の図書館を訪ねた。
 この日は、地元在住の元大学教授で、スペイン思想の研究家である佐々木孝さん(73)と、東京経済大学の徐京植(ソキョンシク)教授(62)も参加したギャラリートークが開かれた。
 名誉なことに、私が1年9カ月前に書いたコラムが3人を結ぶきっかけだったという。
 原発事故直後、周囲が自主避難しても、佐々木さんは一歩も動かなかった。認知症の妻を抱え、「魂の重心」を低くできたからだった。そんな生き方を小欄で紹介した。
 それが徐教授の目にとまり2人の対談をNHKが放映。さらに徐さんは、韓国で原発のある風景を撮ってきた鄭さんを招いた。
 この日のトークでは「放射能の加害は国境を越える。韓国、中国には原発が集中しており、東アジアの問題として考える必要がある」との指摘に胸をつかれた。
 佐々木さんの著書「原発禍を生きる」も国境を越えた。香港、韓国で出版、スペインでも翻訳が進む。  鄭さんの写真展は4月16日から埼玉県の「原爆の図丸木美術館」で、5月7日から東京・新宿のセッションハウス・ギャラリー・ガーデンでも開かれる予定だ。(浜田陽太郎)

 そしてその鄭周河さんが、昨日、撤収作業と取材を終えられて、通訳の李さんや、同じく韓国から来られた写真家の別の李さんと一緒に、お別れの挨拶に見えられた。忙しい合間を縫って地元の本屋さんに行かれたのであろう、愛のための絵本『松の子ピノ―音になった命』を持って。ちょうどその直前、マドリードの佐藤るみさんからのメールで、3月11日は、マドリードのアトーチャ駅で9年前に起こった列車爆破事件(191人が死亡、2000人以上が負傷した爆弾テロ)と同じ日であることに初めて気がついた、という話を三人にした。
 九年の間をおいて同月同日に起こった二つの事件は、考えてみるまでもなく同一の根を持った悲劇と言えよう。要するに世界全体を覆う経済優先主義の破綻であるという意味において。なぜなら、爆弾テロになど一切の弁解の余地を与えるつもりはないが、でもそれがアメリカ主導の世界経済の仕組みに対する一種絶望的な異議申し立てであったことは事実であろうから。そして原発事故の意味するところは? 今さらその意味をここで繰り返したくはない。
 ともかく放射能も経済優先思想も、色も匂いもない点では実に不気味で油断がならぬ。でも正直言うと、放射能よりも経済優先思想(アベノミクスはのその典型ですぞ!)の方が、その拡散状態と精神に及ぼす害毒においてはるかに怖い、という点で私たち四人は完全な意見の一致をみた。しばしのお別れはまた嬉しい再会に繋がることだが、私たち皆の前途を覆う黒雲の存在を嫌でも意識してのエールの交換のお別れとなった。
 さて明るい話題に戻ろう。次は、これも今朝知ったばかりのニュースである。すなわち El Confidencial 紙が報道した記事のさっそくの波及効果であろうか、今月末奥様と一緒に里帰りする予定のハビエルさんに、スペインのテレビ局から、五月出版予定の『原発禍を生きる』スペイン語版について独占インタビューの申し込みがあったことである。ハビエルさんによると、まだ出ぬ本に対するこんな破格の扱いは聞いたことがないそうで、なんとも嬉しい知らせである。スペインにも脱原発への思いを募らせている人が確実に増えている心強い兆しであろう。ともかく私よりスペイン語がうまい(当たり前田のクラッカー!)し、私より男前の(比較するまでもない!)ハビエルさんに、その日存分に話してもらいたい。
 さて最後にもう一つ。これはいま進行中のもので、もしかするとここで話すことによって思わぬ邪魔が入るかも知れない(まさか!)ことだが…
 メキシコが生んだ世界的な詩人オクタビオ・パス(1914-1998)の長詩『太陽の石』の、そのほんの一部を分担翻訳したことは確かご報告済みだと思うが、その朗読会が先日東京の「芭蕉記念館」で行われた。私自身は参加できなかったが、その詩の完成態の朗読会が、もしかするとこの南相馬で開催されるかも知れない。もし実現すれば、今まで一切の接点がなかったメキシコと南相馬がここに初めて出会うことで、歴史的な……
 思わせぶりな導入はちょっとやり過ぎだが、接点がなかったとはだれもが思うに違いない。しかし実はそうではないのである。話はちょうど400年前の昔に遡る。ヌエバ・エスパーニャ、つまり現在のメキシコ、の遣日特派使節セバスチャン・ビスカイノ(1551-1615)が、上総(千葉県)海岸で遭難した前フィリピン長官ビベロ・イ・ベラスコを無事送還させたことに対する謝意を江戸幕府に表するため慶長16(1611)年に来日した。
 その彼は役目を終え、メキシコ総督宛ての家康や秀忠の書簡や土産品をもって、1613年、伊達政宗の船でアカプルコに帰国するのだが、その前に、家康から許可を得て日本沿岸の測量をした。すなわち11月8日に仙台に着き、11月10日伊達政宗に謁見、11月27日から奥州沿岸の測量を始めるのだが、12月2日、気仙郡越喜来村(現大船渡市)沖を航海中に慶長三陸地震の大津波に遭遇したが、海上にいたため被害はなかった。なんとその際、一行がこの相馬の地を訪れているのだ。
 実は現在、相馬市の市史委員会から頼まれて、ビスカイノの『金銀島探検報告』の相馬通過の箇所の訳にとりかかるところである。パスの翻訳のときもそうだったが、今月末の締め切りが迫らないと仕事に取り掛かれないという悪癖のせいで、鄭周河さんの写真展が終わったいま、ようやく重い腰を上げようとしているその時に、パスの詩朗読会の話が持ちかけられたのである。偶然にしては出来すぎの成り行きではなかろうか。たぶん朗読会の世話役の一人阿波弓夫さんも、いやもしかするとその朗読会を後援してきたメキシコ大使館でさえ、この不思議な符合に気づいていないかも知れない。
 もう一度言うと、今からちょうど400年前、メキシコの特派使節が訪れたこの南相馬の地で、メキシコ最大の詩人オクタビオ・パスの詩が読まれるのだ。
 かくして、「窓」から始まって中国、韓国、スペインへと紡がれた縁・「思い」が、今度は一気に400年の時空を越えてヌエバ・エスパーニャへと遡り、また現代のメキシコ、そして日本へと戻ってくるのである。しかしもしその朗読会が南相馬で開催されるとなると、今回の写真展開催に当たって八面六臂の活躍をしてくれた西内さんにまたもやご苦労をおかけすることになるのがいささか心苦しいのだが…

事件の当初は、「バスク祖国と自由」(ETA))による犯行かと疑われたが、犯行後、「アブー・ハフス・アル=マスリー殉教旅団」と称するイスラーム過激派系のテロリストグループが「死の部隊が欧州の深部に浸透し、十字軍の柱の一つであるスペインを攻撃し痛打を与えることに成功した」「(スペイン首相)アスナールよ、米国はどこだ。だれがお前を我々から守ってくれるのか。英国、日本、イタリア、そのほかの協力者か?」などの声明を発した。
 スペイン国内ではイラク派兵を決めたアスナール政権への批判が集中、撤兵を求める市民のデモが相次いだ。折りしも総選挙の三日前に(狙ったものと思われる)起きた事件のため、選挙結果に直接の影響を与えた。選挙の結果を受けてアスナール政権は退陣、発足したスペイン社会労働党のサパテロ新政権は成立直後にイラクからの撤兵を決定し、4月18日から5月までにすべて完了した。
 スペインは同時に有志連合から離脱し、アメリカなどは「テロに屈した」と非難した。フィリピンなどもその後、テロの関連から撤退を早めたり、数ヶ月で計6カ国が離脱する結果となった。
(一部ウィキペディア情報を借用した)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

一気に時空を超えて への2件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     モノディアロゴスを執筆されてから11年目の今年に、長い間一貫して主張されてきた先生の「思い」が世界に発信されること、そして、その事が無限に広がっていくことに読者の一人として希望と勇気をもらいました。

  2. 齋藤和子 のコメント:

    本日、Eテレの「こころの時代」拝見して、ひさしぶりにモノティアロゴスを読んでいます。丁度、庭仕事もできない雨あがりの日曜日です。書かなければ。膨大なメモでしかない3.11後の言葉(それは今放り込まれた断片で創造されていない)を繋がなくては。との詩への焦りも抱えて、風一つ無い雨上がりの庭に大きな揺れを感じました。心を揺らして書かなければ、自分を生きなければ。示唆を戴きました。
    どうぞ、お元気で。これからが南相馬市の私たちの課題、個々の生き方を問われていると思いました。

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