「京郷新聞」(韓国)紙上インタビュー

京郷新聞2013年3月10日付記事(동일본 대지진 2년(5) 후쿠시마 남은 사사키 교수)

今朝の韓国ソウルの「京郷新聞」に私に対するインタビュー記事が掲載されました。あらかじめなされた13の質問に対する私の答を、拙著の翻訳者ヒョン・ジニさんが訳され、それを新聞社側が編集し直して記事にしたものです。せっかくの機会なので、その原文を以下にご紹介します。なお新聞紙上で使われている私たち夫婦の写真は、友人の写真家織田桂子さん撮影によるもので、織田さんには事後、快いご承諾をいただきましたが、事前にその旨翻訳者に連絡しなかったのは私のミスでした。ここで改めて陳謝します。

※ついでに、スペインのデジタル新聞 “El Confidencial” 最新号(3月10日号)にも私への電話インタビューや『原発禍を生きる』の本文を引用した記事(El hombre que decidió quedarse en Fukushima)が掲載されています。こちらに使われている写真は、震災前、海浜公園近くの海辺で撮った写真です。アクセスは El Confidencial で検索すると出てきます。

質問に順次お答えください。

1. 最近はどのようにして毎日を過ごされますか。簡単な近況を教えてください。

 家内の介護がありますので、旅行とか遠くに長時間出かけることはなく、二日に一度の割で買い物に行ったり、近くの公園で散歩したりしています。つまり私はほとんどの時間を家で、本を読んだり書き物をしたりして過ごしているわけです。家内は週に一度デイ・サービスに行き、また週に一度訪問入浴のサービスを受けます。食事は朝だけ夫婦の部屋で老夫婦だけで、昼食と夕食は息子の家族と一緒に食べます。
 スペインにも中国にも家内と一緒に旅行したことがありますが、韓国はまだです。家内が認知症でなければ、二人で韓国に行けたのに、と大変残念です。でも今回、ヒョン・ジニさんやチョン・ジュハさんという素晴らしいお友達ができたので、お二人を介してもっと多くの方々とお友達になれれば、実際に韓国に行けなくとも、韓国からのお客さんを迎えたり、本を読んだりして、もっともっと親しい国になることを期待しています。


2. 先生の本の韓国語版の出版に関してのご感想はいかがですか。

 私は今回の韓国語版の出版に際して、初めて親戚の家にご挨拶に伺うような緊張と喜びを感じています。拙著は韓国語以外にも、中国語とスペイン語でも出るわけですが、私にとってこれら三つの言葉そして国は特別深い意味を持っています。中国は一時旧満州に住んだことがあり、いま息子の嫁が中国人、孫娘に二つの国の血が流れているから。そしてスペインは私の思想形成に大きな影響を与えた国だから。そして韓国は著者まえがきに書いたとおり、私の一方的な思い込みかも知れませんが、いつかは会える異母きょうだいのように思っていた国だからです。


3. 奥様の体調はいかがですか。

 一年前までは一緒に散歩に行けたのに、今はベッドと車椅子だけの生活になってしまいました。意志表示もほとんど出来なくなりましたが、心臓や胃腸などが丈夫なので、介助さえしてやれば、皆と同じものを食べ、排泄のほうも順調なので助かってます。私はこの妻を中心に生活していますが、そのこと自体に満足し、幸せを感じています。


4. 西内さんの活躍が印象的ですが、原発禍の中での住民たちの自主的連帯や責任感ということについてどうお考えですか。

 西内さんは小学六年のとき以来の友人ですが、今度の大震災あと、彼がこんなにも頼り甲斐のある、そして温かな人間であることを発見して驚いてます(?)。つまり今度の震災の中で、本当に頼りになる人あるいは組織と、実は見かけだけで頼りにならない人や組織がはっきり見えてきました。残念なことですが、すべての人間関係、すなわち親子、夫婦、親戚、友人、上司と部下、それらの多くが平常時には見えなかった脆さや利害関係が露呈しました。つまり地震のあとで土地の液状化が問題になりましたが、人間関係・社会にも液状化現象があったということです。


5. 本の中で、いたるところで国家に対する批判(日本は一つ、国歌斉唱、国家主義など)をなさっているんですが、国家に対して批判的な認識をもつようになったきっかけ、理由がありますか。先生は根源派であるとご自身を規定されているんですが、先生にとって国家とはなんですか。

 さあ、きっかけが何であったかは自分でも分かりません。幼いときですが旧満州で多くの日本人が皇軍や国に見捨てられたことが根っこにあるのかも知れません。ともかく現在の国民国家という「くに」のあり方はたかだか数世紀の歴史しかありません。たとえば私は日本人であるより前に、東北人であり、もしかするとアイヌ人であり、さらには縄文人です。日本式に言えば尖閣諸島や竹島には、もともとその近海を生活の場とし糧とする人たちが住んでいたわけでしょう。それがいつの間にか中国だ朝鮮だ日本だと線引きが始まり、そこに住む漁民はそのたびに生活手段を奪われ翻弄されてきたわけです。


6. 韓国の読者に向けた序文で「原発問題は国家と個人の関係の問題である」とおっしゃっているんですが、その「関係性」について説明をお願いいたします。

 ふだん私たちは国というものを、ちょうど家のように国民を守るものと思ってます。あるいは先ず国家があって次に個人がある、と。しかし本当は、いまさら言うまでもないことですが、先ず人間・個人があって、国家はその個人の集合体である社会の委託を受けて成り立っているはずです。ところがその関係性がいつも当然のごとくに逆転されてしまいます。原発問題はその本来の関係性を、つまり国は人間の幸福を守るものであるか、そうでないか、を劇的に見せつけてくれた出来事だったと思います。


7. 今回の事態の以前と以降において、先生の考えておられる政治とはなんですか。

 上の二つのお答えにも重なりますが、政治は国民一人一人の幸福をできうる限り促進する仕掛けのはずです。それが油断をすると、かえって人間を不幸にするものに変質してしまいます。原発事故のあと、政治がいかに国民から遊離したものであるか、国会審議などを見ていると以前より鮮明に見えてきました。民主主義、議会政治などあらゆるところで金属疲労のようなものがあり、本当はこの原発事故を機に一度原点に立ち返って、根本から政治のあり方を問い直さなければならなかったのに、またもや辻褄合わせの政治に戻ってしまいました。


8. ウナムーノの「内的な歴史」に触れておられるんですが、現在福島と国家、住民、歴史の関係についてどのように見ておられますか。「奪われた野にも春は来るのか」を引用しながら、「国策原発に奪われた野」であると書いておられるんですが、もう少し説明してください。

 政治もそうですが、歴史の見方も為政者の交代や戦争が主役になっています。でもそれらは歴史という大海のほんの表面の出来事に過ぎません。そうした波立つ事件の底には、いつもとほとんど変わらぬ庶民の日常があります。もちろん愚かな政治や国策によって、その庶民の生活が、たとえば国を追われたり分断されたりといった悲劇が襲うことがありますが、でも私は生まれつき悲観論的楽観論者からでしょうか、そのどん底にあっても常に希望を、光を見るようにしています。難しく微妙な問題で私が口を挟むことは慎まなければならないとは思いますが、貴国の南北分断のことを考えると、歳のせいで涙もろくなっていることもありますが、時には涙が出るほどの無念さを感じています。


9. 日本帝国主義時代に書かれた朝鮮文学を読むべきであるとおっしゃいましたが、韓国文学や歴史、いわゆる韓流について関心を持つようになったきっかけはなんですか。

 それは私にとって努力目標であって実際にはほとんど読んでこなかったと白状しなければなりません。でもかなり若いときから、東アジアとりわけ朝鮮や中国の人たちの過去の悲しみや苦しみを他人事ではなく感じるようになりました。そしてあるとき、三島由紀夫自刃に抗議して書かれたという金芝河の「アジュッカリ神風」という詩に衝撃を受けました。昨今「サムライ」とか「なでしこ」とかやたら国威発揚的な表現に出会うたびに、金芝河の「どうってこたあねえよ」というフレーズを自らつぶやくようにしています。はっきり言うと、かつて朝鮮や中国の人たちに与えた苦しみや悲しみについて謝る以前に、彼らの苦しみや悲しみを先ずは「感じ理解する」ことが必要で、それを誤魔化したり曖昧にする限り、真の和解も友好もありえないと思ってます。いやそれが無ければ、本当の意味で品位ある日本にもなりえないとさえ思っています。


10. 韓国の原発状況についてご存知ですか。今の朴政権ではこれからの原発は、「他のエネルギーが確保できる」という前提で見直す方針であるという公約を掲げました。こういった韓国の原発状況についてどうお考えですか。なにか韓国にアドバイスは?

 正直言って貴国の原発事情に関してほとんど知りません。そして自分の国が明確な脱原発路線を打ち出せないでいるのに他国に対してアドバイスなどできるはずもありません。しかし敢えて言わせていただくなら、日本や他のアジア諸国に先駆けて脱原発を掲げる国になっていただきたい。本の中でも再三言っていることですが、核廃棄物の絶対に安全な処理法が見つからないのにその平和利用を言うのはまったくのインチキだからです。


11. 北朝鮮の核実験で、韓国の右翼側から核武装論が出ておりますが、これについてはどうお考えですか。

 バランス・オブ・パワー理論がまったくの愚論であることは、とりわけ核武装に関しては火を見るより明らかです。そして自分たちが核武装しながら他国にそれを思いとどませようとするのは、やはりおかしな理屈だと思います。たとえば日本は、北朝鮮に実験中止を呼びかけると同時に、アメリカなどの核保有国に対してもきっぱりその削減を、そして究極的にはその廃絶を訴えなければ説得力がないのは当たり前です。それを知りながらとりあえず実験を非難するのは政治的パフォーマンス以外の何物でもありません。


12. 「必要な時に正しく怒りなさい」とおっしゃってますが、福島以降の日本における「怒り」の意味について付け加えることがありましたら、一言お願いいたします。

 つねづね日本人は怒ることが下手な国民だと思ってました。ましてや追従笑いやごまかし笑いは恥ずかしい、と。ずっと昔のこと、日本でも学生運動が盛んなときでしたが、あるときテレビ画面で、確かソウル大学の卒業式だったでしょうか、政府高官の祝辞の途中、それに抗議する学生が一人、二人と決然と席を立って退場する光景を見て感動したことがあります。横一列になって抗議することも時には必要ですが、一人一人が自分の意見をはっきり態度で示すことはそれ以上に大切なことだと思っています


13. このブログはいつまで続くのでしょうか。

 耄碌して書けなくなるときまで書き続けるでしょうね。どうしてかは自分でも分かりませんが、いつのころからか書くことによって必死に生活を立て直しながら生きるようになってしまいました。書くといっても原稿用紙の上に書くだけだったら、単なるモノローグ(独り言)に終わっていたでしょうが、ブログを書くことによって自分の中にいる別の自分と対話(モノダイアローグ)したり、読者の反応などを意識することによって、他者とも無意識に対話できるこの表現方法に満足しています。


동일본 대지진 2년(5)

후쿠시마 남은 사사키 교수

김종목 기자
2013.03.10 22:02 입력

“원전 25㎞ 떨어진 곳서 치매 아내와 ‘자택 농성’”
“국가가 개인 행복 못 지켜준 게 후쿠시마 사고”

사사키 다카시 전 도쿄준신여대 교수(73)는 2011년 3월11일 도쿄전력의 후쿠시마 제1원전이 폭발했을 때 이웃들의 피난 행렬에도 집을 떠나지 않았다. 원전에서 25㎞ 떨어진 미나미소마시 하라마치구 자택에서 치매에 걸린 아내를 돌보며 ‘자택 농성’에 들어갔다. 농성을 벌인 이유는 정부의 행정 편의주의에 대한 분노 때문이다. 정부는 ‘옥내 대피지역’으로 지정해놓고는 시내 병원과 노인시설을 30㎞ 권역 밖 시설로 이송했다. 이동 과정에서 의료진, 간병인의 도움 없이 이리저리 내돌려지다 사망한 노인 수만 사고 직후 1주일 동안 40~50명이었다. 정부 조치에 혼란과 불신을 느낀 주민 3만여명 중 80%가 자발적으로 피난을 가서 ‘가혹한 대피소’ 생활을 감수했다.

사사키 교수는 “명백한 과실치사에 해당하는 범죄라고 생각했다”며 “최선의 선택은 권내에 머무르며 의사나 스태프, 약품과 식료품을 시급히 보급하도록 국가와 현에 강력히 요구하는 것이었다”고 말했다. 그는 무인지경이 된 집에서 블로그 ‘모노디아로고스’(스페인 사상가 우나무노가 만든 말로 ‘독백’을 뜻한다)를 쓰며 “버림받은 마을에서 쌓이고 쌓인 분노와 항의, 탄식의 소리” 등을 토해냈다. 일본에서 주목받은 블로그(https://monodialogos.com/)는 중국·스페인에 이어 한국에서 <원전의 재앙 속에서 살다>(돌베개)란 책으로 번역됐다. 동일본 대지진 2주년을 맞아 원전 사고의 비극과 혼란의 현장에서 비판적 성찰을 보여준 사사키 교수와 e메일 인터뷰를 지난 6일 진행했다. 번역은 <원전의 재앙 속에서 살다> 역자인 형진의 한남대 교양융복합대학 교수가 맡았다.

사사키 다카시 교수는 ‘자택농성’을 벌이며 국가와 개인, 인간의 자유와 존엄을 깊게 사유하고 있다. ‘사랑의 보금자리’인 ‘농성장’에서 치매를 앓고 있는 부인을 수년째 돌보는 그는 “아내 요시코를 중심으로 생활하는 데 만족하고 행복하다”고 말했다. | 돌베개 제공
사사키 다카시 교수는 ‘자택농성’을 벌이며 국가와 개인, 인간의 자유와 존엄을 깊게 사유하고 있다. ‘사랑의 보금자리’인 ‘농성장’에서 치매를 앓고 있는 부인을 수년째 돌보는 그는 “아내 요시코를 중심으로 생활하는 데 만족하고 행복하다”고 말했다. | 돌베개 제공

▲ “국민과 동떨어진 정치 선명하게 드러났다”
블로그에 올린 글 모은 ‘원전의 재앙…’ 한국 출간

– 한국어판 출간 소감은.

“친척 집에 인사드리는 것 같은 긴장과 기쁨을 느낀다. 원전 피해지역에 살면서 과거 조선인, 중국인이 겪은 고통과 슬픔을 이해할 수 있는 처지에 놓여 있다고 생각한다. 이상화 시인의 ‘빼앗긴 들에도 봄은 오는가’에서 ‘일본제국에 빼앗긴 들’과 ‘국책 원전 사고로 빼앗긴 들’은 연결된다고 본다. 조선인, 중국인의 고통이나 슬픔을 먼저 ‘느끼고 이해하는’ 것이 필요하고, 그것을 감추거나 흐지부지하는 한, 진정한 화해도 우호도 있을 수 없다고 생각한다.”

– 책의 여러 군데에서 ‘국가’를 비판했는데, 계기는.

“어렸을 때, 구만주에서 살았다. (그곳에서) 많은 일본인들이 황군(일본군)이나 국가로부터 버림받는 것을 보면서 비판적이 되었는지도 모르겠다. 오늘날 국민국가(nation)라는 ‘국가(state)’의 형태는 100여년에 지나지 않는다. 저는 일본인이기 이전에 도호쿠 사람이고, 어쩌면 아이누의 피를 이어받았을 수도 있다. 지금 문제가 되고 있는 영토분쟁 지역에도 원래 그 근해를 삶의 터전으로 삼아온 사람들이 살고 있었을 것이다. 그것이 어느새 중국·조선·일본 등으로 선이 그어지고, 그곳에 사는 어민들은 그때마다 생활수단을 빼앗기고 혼란을 겪는 것이라고 본다.”

– 스페인 사상가 우나무노의 ‘내적인 역사’를 언급했는데.

“정치가들의 등장과 전쟁을 역사의 주역으로 보는 관점이 있다. 하지만 그것들은 역사라는 큰 바다의 표면에 나타나는 작은 움직임이다. 그런 파도의 밑바닥에는 서민의 일상이 있다. 어리석은 정치나 국책 때문에 서민의 삶이, 예를 들면 나라 밖으로 내몰린다든지 분단된다든지 하는 비극이 일어나는 일도 있다.”

– “원전 문제는 궁극적으로 국가와 개인의 관계성에 관한 문제”라고 책에 썼는데, 부연한다면.

“먼저 인간·개인이 있고, 국가는 그 개인의 집합체인 사회의 위탁을 받아 성립하는 것이어야 한다. 그런데 그 관계성이 언제나 당연한 듯이 뒤집힌다. 원전 문제는 그 본래의 관계성을, 즉 국가는 개인의 행복을 지키는지 아닌지를 극적으로 보여준 사건이었다. 그리고 우리 한 사람 한 사람은 국가라고 할 수 있다.”

– 원전 사고 후 정치에 대한 생각은.

“정치는 국민 한 사람 한 사람의 행복을 추구해야 한다. 자칫하면 오히려 인간을 불행하게 만드는 것으로 변질돼버린다. 원전 사고 후에 정치가 얼마만큼 국민과 유리된 것이었는지, 국회 심의 등을 보면 이전보다 선명하게 보인다. 민주주의, 의회정치 등 모든 면에서 금속성의 피로감 같은 것이 느껴진다. 원전 사고를 계기로 원점으로 돌아가 정치 본연의 자세를 되짚어야 하는데, 여전히 땜질식 정치를 하고 있다.”

– 재앙 속에서 사람들 간 연대나 불신의 문제는 어떻게 보나.

“대지진은 사람들의 마음을 서로 묶어주면서도 서로의 다름도 실감하게 했다. 진정으로 의지할 수 있는 사람이나 조직과 전혀 의지할 수 없는 사람이나 조직이 확실히 구분됐다. 모든 인간관계에서 평상시에는 보이지 않았던 부분들, 이해관계가 그대로 드러났다. 인간관계, 사회에도 액상화(바닷물이 땅속으로 들어가 단단한 지반이 액체화되는 현상)가 있었다. 인간은 서로 돕고 의지하는 것이라는 기본 조건을 단순히 머리로만이 아니라 뼛속 깊이 체득해야 한다고 본다.”

– 인간을 불안정하고, 연약한 존재로 내몬 것 중 하나로 투기적 욕망을 꼽았다.

“투기적 욕망을 정당화하는 게 국제경제다. 일순간에 육친을 잃어버린 비극 직후에 텔레비전에서 흘러나온 뉴스가 엔화 폭락이 시작되었다는 것이다. 그 잔혹한 현실, 즉 인간의 불행이 누군가의 투기적 욕망을 자극하는 계기가 되는 세계경제의 잘못된 현실을 이상하다고 생각조차 하지 않게 되어버린 것 같다.”

– 한국 정부는 에너지원이 확보된다는 전제하에 추가 원전을 ‘재검토’한다는 입장이다. ‘탈원전’과는 거리가 있는데.

“한국 상황은 잘 모른다. 일본이 탈원전 노선을 표명하지 않는데 다른 나라에 조언하는 것도 온당치 않다. 그러나 한국이 일본이나 다른 아시아에 앞서 탈원전을 선언하는 나라가 돼달라는 말씀은 드리고 싶다. 핵폐기물의 안전한 처리방법이 아직 없는데 그것의 평화이용을 말하는 것은 완전히 언어도단이다.”

– 북한의 핵실험 때문에 한국, 일본에서 핵무장론이 나온다.

“일본은 북한에 핵실험 중지를 요구하면서 동시에 미국 등 핵보유국에 대해서도 단호하게 폐기를 주장해야 설득력이 있다. 핵실험만 비난하는 것은 정치적 퍼포먼스에 지나지 않는다.”

– 청년들에게 “필요할 때 분노하라”고 강조했다.

“일본인은 정당하게 화내는 것을 잘못한다고 생각한다. 일렬횡대로 항의하는 것도 때로는 필요하지만, 한 사람 한 사람이 자신의 의견을 분명한 태도로 나타내는 것은 그 이상으로 중요하다.”

<시리즈 끝>

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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