絶妙のタイミング

今しがた「我が懐かしの千字文」という題で書こうとパソコンを開いたら、昨31日の「朝日新聞」の社説の一部と、「ザ・コラム」で曽我豪という政治部長が書いた文章の一部のコピーが見つかった。そうだ、昨日が締め切りのビスカイノ旅行記の翻訳に気を取られて、懐旧の念などより大事なことを忘れていたわけだ。千字文のことはまた別の機会に書くことにして、まずその二つのコピーを下に紹介する。

 「日本維新の会がきのう、結党以来初の党大会を大阪市内で開いた。夏の参院選で、自民党などと合わせ憲法改正の発議に必要な3分の2の議席を確保する。石原慎太郎氏とともに共同代表を務める橋下徹大阪市長は、そんな目標を打ち出した。改憲論議自体、否定すべきものではない。ただ、あまりにも前のめりな維新の姿勢には、危うさを感じざるを得ない。
 見過ごせないのは、大会で採択された綱領に〔日本を孤立と軽蔑の対象に貶(おとし)め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正する〕という一文が盛られたことだ。
 〔国民の意志と時代の要請に適したものに改正する〕という原案だったが、石原氏が持論をもとに書き換えたのだという。 これでは平和主義を含む憲法の全面否定であり、とうてい容認できない。」

 最近の新聞にしてははっきり自分(社説だから自社か)の意見を書いていることに、まず敬意を表したい。「とうてい容認できない」という言い方は、たぶん社説としてはぎりぎりの表現だろうな、とは思う。しかし過去ションナイ(これ方言です、しょうもない、の意です)家系の秘密だかを暴露しようとして逆襲にあったりして、維新の危険な動きに適切な手を打ってこなかった新聞各社の罪は大きい。おやそうじゃなかった? 別に彼らの意見もそれなりにいいと思ってた? だったらまったくションナイ話で議論する気にもならない。
 「日本を孤立と軽蔑の対象に貶(おとし)め」ただと? どうだろう勇ましいことを言いながら、この被害妄想の極みとも言うべき、センチメンタルで情けない表現! 歴史的な過誤をサムライらしく認めないことが軽蔑の対象になるのは当たり前じゃないか。維新を掲げる偽サムライたちよ、武士に二言無し、という言葉を知っとるか? 真の誇りは己に落ち度があったなら、それを潔く認め、心から反省することからしか生まれないもの。何? 落ち度が無かったと言われるのか? だとしたら、真の愛国心ならぬ盲目的な愛国主義に骨がらみになっているおぬしの目が曇っているからじゃろが? 
 実は他の新聞がこのニュースをどのように伝えたのか調べてはいない。他のションナイ事件などより、これこそ新聞のトップ記事になるべき緊急の事件なのに。つまり彼らはその正体を堂々と誇示した、もっと正確に言えば、牙をむいたのだ。
 もしかすると、曽我豪さんのコラム記事は、この「事件」に危機感を覚えてのものだったか。彼はこう書いていた。

 「…政治家とつるんでいるかのように思われて、昨今、なにかと評判のよくない商売だが、こう思う。言いたくない話を権力者から聞き出し、隠したい思惑や生の姿を満天下にさらすのが僕らの仕事だ。ならば、おもねる必要がないのは当たり前としても、ダメだダメだと決めつけ型の…」

 残念!続きを読むには有料会員にならなければならない! だから彼がその先なんと書いているのか、悔しいけど分からん。「言いたくない話を権力者から聞き出し、隠したい思惑や生の姿を満天下にさらすのが僕らの仕事だ。」、ブラボー! そうだ、そのとおり! 異議なーし! そこまで分かってりゃ世話いらぬ。だけどなー、その先、豪さん、何て言ってるのかなー?
 何でも反対、そりゃいけない、というより戦略的にまずいっしょ(これ道産子なまり)。肝心なのは、つまり勝負どころは、その聞き出した彼らの本音を、満天下に知らしめるだけでなく、それに痛棒を食らわすこととちゃう? それをしないなら、本音を引き出すことに何の意味がある? つまりでんな、人が良いだけで批判力を失った国民たちは、現在の安倍人気に見られるように、唯々諾々とアジテーターに従っていきまっせ。
 過去の日本には、保守的な思想の持ち主だとしても、アホな政治家たちを叱り飛ばす石橋湛山のような男、もっと時代を遡れば大新聞までが「大逆事件」で幸徳秋水らの死刑を黙認したときに、遅まきながら激しく批判した徳冨蘆花…実は中野好夫の『蘆花徳冨健次郎』の存在にようやく気づき、昨日アマゾンに注文したばかり、だから詳しいことはこれから勉強します。
 どこかの大新聞社長(まだそうでしたっけ?)とか慎太郎とか、老害どころじゃありませんぜ。この社長で思い出したけど、長嶋と松井の国民栄誉賞? 彼ら二人は好きでも嫌いでもないけど、でもだれが仕組むのか、絶妙のタイミングでうまーく愚民の目を逸らしますなー、いやまったく。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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