一山越えてまた一山

ここ一週間、いや二週間?になるか、やたら忙(せわ)しない時間を過ごしたような気がする。前回も言ったと思うが、具体的にどれと言えるような出来事があったわけではない。その忙しなさの原因の一つは、もしかして時差のせいかも知れない。つまりここに来て『原発禍を生きる』のスペイン語版が急ピッチで動き始めたのはいいが、なにせスペインとは8時間の時差があり、そのためメールのやりとりがチグハグになることがあって、それでなんとなく忙しない感じがしていたのかも知れない。
 中国語版や朝鮮語版のときは、翻訳の話が持ち上がってから出版まで、実は私自身は訳者からの時おりの質問に答えるだけで、本が出来上がるまで一切関与しなかったから気が楽だった。しかし今回のスペイン語版の場合は出版社が決まるまでの紆余曲折はともかく、出版社が決まってからいろいろ決めなければならないことが持ち上がった。そのうちの最大の問題は、著者名をどうするかであった。私としては変更が間に合うなら、そして出版元が同意してくれるなら、今回は富士貞房にしてほしかった。つまりその名前をローマ字で表記すれば、「逃亡者」という私としては意味のある言葉になるからだ。出版元のアルフォンソさんは変更そのものは間に合うが、これまで新聞やテレビでは実名で報道されたことなどを勘案して、できれば実名で出したいと言ってきたので、もちろん私としてもそれを了とした。
 その代わり、原著の中扉裏にあった著者のメッセージ、つまりこのブログの右上にある文章をその一部とする文章もスペイン語版の中扉裏に訳出してほしいと申し出た。つまりそこにはもう二つ、スペイン語圏の読者にはぜひ知ってほしい言葉遊びがあるからだ。一つは私のではなくウナムーノの新造語、つまり独・対話を意味する「モノディアロゴス」、そしてもう一つは私家本発行元の「呑空庵」の意味である。つまりこれはドン・キホーテの頭文字 Don Q のスペイン語読み、ドン・クーと庵(あん)を組み合わせた言葉なのだ。なーんて特別自慢できるものでもないが、私とスペイン文化・思想との深い関係(?)を表わす言葉遊びなのである。
 幸いこの希望は聞き届けられ、これで私がスペイン語版にこめた思いと願いがみごと形になったわけだ。いや、これで私の願いが全てかなえられたわけではない。もうひとつ大事なことが残っていた。それは中国語版にも朝鮮語版にもあった著者挨拶がスペイン語版には無かったため、これまでお世話になった人たちへの感謝を表明する場が無かった。それがここに来て、その感謝の言葉を前述の中扉裏の文章末尾に加えたいと思ったのである。幸いこの願いも聞き届けられ、以下のような文章が加えられることになった。

「そして最後に、私にとっては理想的な翻訳者となるハビエル・デ・エステバン氏を引き合わせてくださった明治大学の高橋早代教授、そしてスペインの出版社を探していた私たちにサトリ出版社への道筋をつけてくださったゴンサロ・ロブレード氏と佐藤るみさん、そして長年たゆみなく誠実に日本文化の紹介に努めてきたそのサトリ出版社社主アルフォンソ・ガルシア氏とマリアン・バンゴさんに深甚なる謝意を表したい。

佐々木孝、またの名富士貞房」

 バルセロナのスペイン・テレビ・スタジオでハビエルさんも無事インタビューを終えたいま、セマーナ・サンタ明けの月曜からいよいよスペイン語版の最終段階が始まる。いろいろあったけれど、この間、感謝の言葉の中にその名前を挙げたマドリード在住の■さんには本当にお世話になった。ここに特記して感謝の気持ちをお伝えしたい。
 さてこれで、来月下旬から準備が始まる例のオクタビオ・パスの長詩『太陽の石』の朗読に新たな意味を加えるビスカイノの『金銀島探検報告書』の相馬訪問のくだりの朗読を合わせた歴史的に重要な集い(会場・南相馬中央図書館)まで、しばらく静かに、おや何とーおっしゃるウサギさん、その報告書の翻訳の締め切りは明日でなかったの? あらあらすっかり忘れてた、さあたいへん今晩からまた忙しいぞ。まっ忙しいうちが花とでも思うっきゃないな。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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一山越えてまた一山 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生が『飛翔と沈潜 ウナムーノ論集成』の中の「ウナムーノによるスペイン哲学の構想 スペインの本質をめぐって」の最後でウナムーノの『生の悲劇的感情』の結びの言葉を引用されています。

     「この世でのドン・キホーテの新しき使命は何か。それは叫ぶこと、荒野に叫ぶことである。たとえ人間が聞かなくとも、荒野が耳を傾ける。そしてそれはいつの日か音の反響する森へと変化するであろう。そして種子として荒野にとどまる孤独の声は巨大な杉となり、その幾万という舌でもって、生と死を司どる主なる神に永遠に讃歌(ホザンナ)をうたうであろう」。

     『原発禍を生きる』の中扉裏にある先生の思いと願いがこめられたメッセージは何を意味するのか。その意味するもの、そして『原発禍を生きる』の中で一貫して主張されている先生の気迫ある魂の言葉を何故か私は、このウナムーノの文章と重ね合わせてしまいました。

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