ペテーフィの「希望」

結論から言えば、今岡十一郎訳著『ハンガリー詩文学全集』の中に、ペテーフィの「希望」という詩は載っていなかった。いや「希望」という詩だけは、と言い換えた方がいいかも知れない。というのは第一編ハンガリー詩文学史、第二編ペテーフィの詩、第三編十五―十九世紀の詩、そして第四編二十世紀の詩というぐあいに、第二編がまるまる彼に割かれているだけでなく、全274ページの中で、ペテーフィについてが25ページから143ページまで、つまりほぼ半分が割り当てられているのだから、そう言いたくもなるのである。
 それにしてもペテーフィがハンガリー文学詩の中でそんなにも重要な人物だとはまったく知らなかった。魯迅が中国の行く末を思って、その立国の先達を広くヨーロッパに求めていく過程で、ハンガリーという、同じような生みの苦しみを味わった国に着目し、そしてそこに救国の志士ペテーフィを見つけたのもよく分かる道筋である。彼がハンガリー語を理解できたとは思えない。ドイツ語かフランス語を経由しての出合いだろう。ともあれ今岡氏は彼の業績を「愛と自由の詩」「家庭詩」「プスタの詩」「自然詩」「革命詩」「思想詩その他」、「物語詩」と七つに分けて紹介し解説しているのだが、そのいずれにも「希望」という詩は含まれていない。
 ところでプスタというのは、ハンガリー東部、ドナウ川とティサ川の流域を指し、「荒地」という意味らしい。十九世紀ハンガリーが政治的に同時代のスペインに似通った側面を持っているだけでなく、プスタが、スペインのメセタ(高原台地)がスペインの知識人に対して持っていたのと同じような意味をハンガリーの知識人に対して持っていたというのも興味をそそられるところである。つまりウナムーノやアントニオ・マチャードがカスティーリャの野を歌ったように、ペテーフィもプスタの厳しい自然を歌にしたのである。
 いずれにせよ今回のペテーフィの詩探索の試みは頓挫してしまったが、しかし希望と絶望の奇妙な弁証法的関係については、その間おりに触れて考えてみた。それについては明日、また項を改めて述べてみたい。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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