あゝサムライJapan!

長のご無沙汰から戻ってきて、とつぜんつまらぬ話で申し訳ないが、今日のWBC日本-韓国戦について、ちょっと感想を述べておきたい。
 まず試合前から完璧に気合負けしていた。実力的には互角、あるいは日本の方が少し上だと思うが、精神的なもろさが露呈した。もちろん試合は文字通り水物であって、何度か日本に傾きかけた運も、それこそ不運にも手元から逃げていった場面も再三再四あった。
 いや初めから最後までしっかり見ての感想ではない。とつぜんいわきから来た姉の応対などで、とびとびにしか見ていなかったので、今日の試合全体をきちんと批評する資格はないかも知れない。それでも上に述べたような感想はそれほど間違っていないはずだ。
 その上でいくつか言いたいことがある。まず「サムライ・ジャパン」という呼び名である。別に正式名称ではなく単なる愛称だからいいと言えばそれまでだが、なにかひっかかる。数年前から、日本女子サッカーチームも「なでしこ・ジャパン」と呼ぶようになったこともそうだが、どことなく戦前の戦意高揚・国威高揚のスローガンめいていてどうも引っかかる。数年前だか「美しい日本」という言葉を掲げて見事短命で散った安部さんの場合のように、「サムライ・ジャパン」も敗者復活戦でも散るのかな、などと不吉な予想を立てたくもなる。
 今日の試合終了時に、韓国の選手がピッチャーズ・マウンドに小さな韓国国旗を立てたが、これもなにかいやな光景である。前回のように敗者復活戦で再度立ち上がってきた日本に負けたら、きっと韓国でも心ある筋から批判されるであろう。私の憶測に過ぎないが、もしかしてあのような過剰な行為は、「日本と韓国の差は何十年(三十年?)近くある」といった趣旨のイチローの発言が誘発した行為かも知れない。
 言いたいのは、国別対抗のスポーツ試合に、結束力や元気を奮い立たせることは必要だし、それで選手も応援する国民もヒートアップするのは当然だし、それが試合を面白くもする。たとえば最近はほとんど野球観戦をしない私ごときも、対キューバ戦のときは眠い眼をこすって五時起きをしたように。しかし不必要なヒートアップは、どちらにとっても決していい結果をもたらさないし、さわやかな勝利の喜びも運んでこない。
 最後に、原監督の采配について。オリンピックのときの星野監督と同じような間違いを犯してはいないか。下位打線から一番バッターへとずらり大リーガーを揃えたのはいいが、調子が悪ければどんどん換えなければならないのでは。たとえばイチローである。後楽園では打ったが、二戦目と今日の三戦目、あきらかに大ブレーキになっている。岩本も福留も調子が悪い。なぜ換えないのか。特にイチローは「三十年発言の呪い」に完全にかかっているように思われる。大選手かも知れないが、ここは彼のためにもスタメンを外すべきだ。
 以上いくつか素人考えの感想・意見を述べたが、まっ、そんなことどっちでもいいか、ようやく暖かくなってきたことだし。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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