机脇の手造り本棚から何気なしに三好達治の文庫合本を取り出す。『三好達治詩集』、『三好達治随筆集』そして『詩を読む人のために』の三冊の手造り合本である(いずれも岩波文庫)。手造りといっても茶色のなめし革で装丁されたなかなかの豪華本である。頭が疲れたり、気分が鬱屈しているときなど、ぱらぱらとページをめくる。そうした類の本には、他にも志賀直哉の短編集や伊東静雄の詩集がある。最近はそれらに、わが宗匠・眞鍋呉夫の定本『雪女』が加わった。
それはともかく、達治の詩集『南窗(なんそう)集』の中にこんな素敵な詩を見つけた。友人・梶井基次郎への挽歌「友を喪ふ 四章」の一つ「路上」である。
巻いた楽譜を手に持って 君は丘から降りてきた 歌ひながら
村から僕は帰ってきた 洋杖(ステッキ)を振りながら
……ある雲は夕焼のして春の畠
それはそのまま 思い出のようなひと時を 遠くに富士が見えてゐた
梶井が亡くなったのは1932年3月24日。そのころ三好達治が彼とどのような交流をしていたのかは知らない。たぶんこの詩は、実際の出来事ではなく帰天した基次郎を空想の中で悼んだ詩かも知れない。
先ほど素敵な詩と言ったが、私が強く引き付けられたのは「そのまま 思い出のようなひと時を」という詩句である。そのまま思い出のようなひと時…
雑駁に過ぎ行く日常の中にも、なぜかそのまま、つまりまるで写真や絵画のフレームの中にしっかり取り込まれたように感じられる瞬間があるものだ。目の前の情景を体験している、見ている自分とは別に、未来の自分の眼差しにも捉えられていると感じるような情景…そんな体験をこれまで何度もしてきた。たとえば…
たとえば、もう20年ほど前の或る爽やかな秋の一日、鎌倉の日本庭園で眞鍋宗匠囲んでの実に文学的な集まり(それが何の集まりだったかは忘れてしまったが)に美子と一緒に参加したときの、柔らかな午後の緑色の光の中の数刻。あるいはちょうど今ごろの季節、まだ歩ける美子と夜の森公園の大きな銀杏の樹の下を通ったときの黄金色の光の中の数分…そして不思議なのは、いずれの場合にもその瞬間、あゝこれはそのまま思い出になるな、と確信していたことだ。
と考えると、先ほどの達治の詩に描かれた出来事も空想の中のものではなく、過去のある時点で実際に起こったことと考えた方がよさそうだ。つまりそのとき、達治は「あゝこれはそのまま思い出になる」と心の中で強く感じたに違いない。
でも本当は、そんな特権的な時間だけではなく、すべての時間が、すべての体験が「そのまま思い出になるように」生きなければならないのではないか。そのとき時間は直線状に未来へと続くのではなく、いわば螺旋状に現在に重なってくる。
ということは、奈落の底からの視点、終末からの視点、限りなく重心を低くした視線、「末期の眼」などもすべて同じことを言っているような気がする。さらに言うなら、人はそのような瞬間の中に「永遠」を垣間見る、先取りする。
人は掛け替えのない今という瞬間を本当に大切に生きているのかと、ふと、先生の文章を読んでいて私は感じました。過去の幻想を引きずっていたり、不確かな未来のことに不安を抱いたり。しかし、今という瞬間には幻想も不安もないことに「奈落の底からの視点、終末からの視点、限りなく重心を低くした視線、末期の眼」を通じて人は気づくものなのかも知れません。そして、『原発禍を生きる』にあった文章が私の頭を過りました。
「カルペ・ディエムというローマの詩人ホラチウスの言葉を久し振りに思い出した。そうだよ、この日を、この時を、この刹那を楽しめ!明日は明日の風が吹く。この間のことも辛い日々だったけれど、この先だって分からない。なら、先のことをくよくよ思い煩うよりも、この流れゆく一瞬一瞬を精一杯楽しもう!刹那主義?そう言いたきゃそう言ってもいいよ、でもこの一瞬の中に永遠があるとしたら?」