ある修道女への手紙

先日お約束したように、本日、残っていた私家本をすべてお送りしました。先日お送りしたものと一緒に修道院の図書室の片隅にでも置いていただければ幸いです。そしてどなたかが時おりふと目を止められ、お気の向くままにぱらぱらとページを繰って、万が一、そこになにか心に響く言葉あるいは章節などが見つかりましたら、あゝそれこそ身に余る光栄そして喜びです。
 先ほど私家本すべて、と書きましたが、実は1冊を残して、というのが本当です。なぜその1冊だけを残したか。それは中に少々毒気の強い作品が一つ(二つ?)、含まれていたからです。でも誤解しないでください。なにか背徳的あるいは涜神的なことが書かれているわけではありません。書かれた時期は、教師生活最後の場所だった大学で、大学のために良かれと思ってしたことがことごとく否定され、あるいは無視されるという、いわば四面楚歌の中で、ミッション・スクールの現状に対して暗く否定的に考えた時期に書かれた作品なのです。
 具体的に言いますと、創作集『切り通しの向こう側』の中の「白く塗りたる墓」という小品です。これはいくつかの断想を集めたもので、冒頭の「ミッション・スクールの終焉」という小題からして穏やかではありません。でも良く読んでいただければお分かりになると思いますが、これはいわば身内からの、だからこそ厳しい批判なのです。私がこの本を含めるのを躊躇し、けっきょく送付を諦めたのは、どなたか若い修道女が最初にこの小品を読まれてびっくりし(?)、以後私の他の本からも遠ざかってしまうことを恐れたからにほかなりません。私の書いたものの全体を読まれてからなら…いやいや、もともとそう大した作品ではありませんが。
 この作品に書いていることの当否はともかく、プロテスタントのそれも含めて、いわゆるミッション・スクールは日本の学校教育に長らく先駆的で開明的な影響を与えてきました。外国からもたくさんの神父や神学生、そして修道女が来日し、教職員として世界の新しい息吹をもたらしました。先日ここで紹介した「日本におけるスペイン研究の一時代」にも書きましたが、1960年代、あの第二バチカン公会議をはさんで日本の教会には精神が高揚し活気付いた一時期がありました。
 当時は良くアジョルナメント(aggiornamento)という言葉が使われました。イタリア語で現代化・今日化という意味、つまり教会が時代の要請に柔軟に対応すべきという意味でしたね。こうして典礼の刷新その他さまざまな改革がなされました。ミッション・スクールにもその波は押し寄せ…シスターも当事者として御存知のことですから、これ以上その流れを描く必要は無いでしょう。
 そしてやがて少子化など日本社会の大きな変化の時代がやってきました。
 私の最後の勤務先は小さな大学でしたから、その波をまともに被り、とりわけ経営の面で大変難しい時代に入りました。このあたりのことは…、あっ今気がつきました、お送りしなかった本がもう一冊ありました。『大学の中で考えたこと』です。ともあれそこに私の教師生活の最後の場所での、それこそ悪戦苦闘の顛末が書かれています。
 要するに、言葉は悪いですが、貧すれば鈍する、といった状況が現出したのです。私の考えでは、ミッション・スクールの究極の存在理由は、その高邁な理想主義です。一般の大学の理念の多くは、国家に有能な人材の育成といったところでしょうか。でもミッション・スクールの理念はそれをはるかに超えた理念を謳っています。
 実はその勤務校で或る事情があってその理念の文言を再検討しなければならなくなったとき、私が提案した文言は以下のようなものでした。もちろんそのまま採択されるはずもなく、結果は…ともあれこんな文言でした。

「キリスト教ヒューマニズムを基盤に、国際化社会・地球一体化社会の真の平和と福祉に貢献しうる聡明で感性豊かな女性、人間と社会の新しいありかた、その真の幸福を求めて果敢に挑戦する創造性豊かな教養人の育成を目指します。《愛に根ざした真の知恵》(Sapientia in caritate fundata)これが私たちの教育・研究のモットーです」

 これを自ら次のように解説しています。「本大学の人間教育が何を目指しているかが、ほぼ正確に表現されているのではなかろうか。ただし【教養人】という言葉に戸惑う人がいるかも知れない。実はこれはラテン語では homo cultus(文化化・教養化された人間)に相当するが、【文化人】という今では手垢にまみれた表現を避けたという経緯がある。【文化・教養】という言葉がもともと持っていた意味、すなわち【たんなる学識や専門的技能を越えて、高邁な理想に向かっての精神的能力の全面的開発・陶冶】という意味の復権がこめられている。冒頭の『現代世界憲章』の言う homo universalis(ユニバーサルな人間)とほぼ同じ意味である。」
 ところが最終的に決まった文言はこれとはまったく別で、私が苦心して造語したラテン語が残っただけでした。もちろん一介の教師の発案がすべて通るはずもありませんが、「果敢に挑戦する」などという表現が変に警戒されたという記憶が残っています。
 さて、私家本の一冊をお送りしなかった理由を述べるだけのつもりが、思わぬ広がりを見せ始めましたので、この辺でこのお話は終わりにします。もしかすると、例の作品だけをはずした『切り通しの向こう側』と、『大学の中で考えたこと』をいつか追加発送するかも知れません。
 ところで女子大の理念に「果敢に挑戦する」などという言葉が出てきたところで、最後にがらっと話題を変えて少し楽しいお話で締めくくりましょう。アマゾネスのお話です。きっかけは今回の、いやいやこんな経験は二度としたくないし、させたくもないので、「今回の」なんて言葉は止めます、そう、「あの忌まわしい」原発事故のあとに出会った聡明で意思堅固、そして「果敢に」問題に立ち向かっている人のほとんど(申し訳ない男性諸君!)が女性であることが実に印象的だったということです。それでいつか私はその女性たちを密かにアマゾナスと呼ぶようになりました。そうです、あのアマゾネスのことです。日本語では一般的にアマゾネスと言いますが、スペイン語では amazona と表記するので、以後単独ではアマゾナ、複数ではアマゾナスとしましょう。
 アマゾン河の語源ともなったアマゾナスはもちろんギリシャ神話で有名な女性闘士の呼び名です。アフロディテ(ローマ神話ではビーナス)のように美しいだけではなく、すこぶる強い女性、そしてその軍団のことです。実は密かにそう思っていただけでなく、彼女たちの何人かにそのことを告げ、そしてそう名指されることを喜びますとの返答を得ました。それで私は、それまで一切の繋がりのなかった彼女たちを相互に結びつける(「朝日」の浜田さんの言う「紡ぐ」こと)までしました。かくして、そう、名前を公表しても叱られはしないでしょうから実名で例を挙げますと、マドリード在住の翻訳家■さんとオキナワ普天間基地に隣接する佐喜真美術館の■さんなどが現在は大の親友になりました。他にも現在十指にあまるアマゾナス、そしてその予備軍が存在します。
 しかしこの軍団にはいかなる規則も義務もありません。いつか一同に会することを望んではいますが、平時ではアマゾナス同士、ある作戦行動に当たって自由に相手を選んでチームを作り行動します。たとえばいまマドリードでは■さんと拙著のスペイン語版出版がきかっけで友人となったアンヘラ・サントスさんがタッグを組んで、脱原発に向けて各報道機関に働きかける運動をしています。
 ではお前はこの軍団とどういう関係にあるのか、と問われれば、次のように答えます。もちろん私は紛れもない男性ですから軍団に入ることはできません、彼女たちの単なる応援団であり紡ぎ手(hilandero)です、と。そしてさらに取って置きの答えを用意しています。でも実は私の妻・美子もアマゾナなのです、なぜならこんな奇妙な考えをそもそも思いついたのは、彼女たちの出会いをいちばん喜び、そして彼女たちと何か楽しい(?)ことをしたいと思っているのは他ならぬ妻であるとの確信があってこそすべてが始まったからです、と。さらにこう答えます、以上は名目上の資格ですが、さらには実質的な(肉体的な?)理由・資格もあります、すなわち妻はまだ若いころ、胸部に出来た腫瘍(良性)摘出手術を受けた身ですから、と。
 さてギリシャ神話にお詳しいシスターならその理由が何を意味するかお分かりでしょうね。でも念のためヒントを出します。アマゾナスたちは強い矢を射るために何をしたでしょうか?
 最後の最後に、もう一つ嬉しいニュースをお伝えしてこの奇妙なお手紙を閉じることにします。それは最近接触が始まったバルセローナのあるマンガ・アニメ・サイトを主宰するアンドレアさんに関してです。これまでマンガとかアニメに関してあまり関心がありませんでした。と言うより、むしろどちらかと言えば否定的でした。ですから彼女から(拙著のスペイン語版を読んだらしく)今度の罹災三周年をサイトで特集したい、ついてはそれに関する考えを聞かせてください、と連絡してきたとき、もちろんあらゆる機会を捉えて反原発の想いを伝えたかったので、送られてきたアンケートに答えたりしていました。
 ところが、先日その第一回分の記事がネットに載っていました。本当にびっくりしました。実に鋭く、そして核心に迫った7ページ近い大作なのです。選ばれた写真もどこから探してきたのか、胸に迫る写真ばかりが掲載されており、とりわけ最後から二番目のそれは、瓦礫にうずくまって亡くなった若い奥様の写真を胸に、その横に家の愛と同じくらいの歳の小さな女の子が寄り添った若い男の写真です。見るたびに涙が溢れ出てきます。
 ともかくこの実に真剣なサイトを見て思ったのは、若い人たちの心に響くメディアとしてのマンガの重要性についてでした。先日の都知事選で福島県出身元自衛官の愚かな主張に票を投じた若者たちがかなりいると知って大きな幻滅を味わいましたが、いやいやそれはほんの一部の若者たちで、社会や世界の現状に怒っている若者もたくさんいる、彼らに心をこめたメッセージ送らなければ、という熱い思いでした。
 実は初めアンドレアという名前をイタリア式に解釈して男性かなと思ったのですが、スペイン語では男性はアンドレス、だとすると相手は女性だと気づきました。そう、ここにもまたアマゾナがいたわけです。彼女もたぶん喜んで参加してくれると思います。お時間があるときにでも、ぜひ彼女たちのサイトを訪問してください。グーグル検索で Tallon 4で検索すれば直ぐ出てきます。その日本特集を覗いてみてください。ちなみに私の本と考えの紹介は第三回目ということで、今から楽しみにしています。
 さて今度こそ長いお手紙の最後です。ずいぶんと回り道をしてしまいましたが、いちばん申し上げたかったことは、現代に生きる修道女たちもやはりアマゾナであるということです。私自身ははぐれキリシタンになってしまいましたが、青森・十和田で頑張っている兄・神父が最後までその道を歩き通すことを願い、また孫娘や嫁が昨年の復活祭に洗礼を受けたことを心から喜んでいることから、私とキリスト教との距離関係がお分かりと思います。つまり同じ理想に向かって走る仲間であることをどうぞお忘れなく。
 平原の真ん中で瘦せ馬ロシナンテ(これは最近いよいよ弱ってきたわが肉体のことですが瘦せてはいません、残念ながら)にまたがって佇立する、いや老躯を屈める、憂い顔のドン・キホーテよろしく、たぶん私のシルエットはまるで疑問符のように見えるでしょう。いや事実、最後の息を引き取るまで(あゝそれは美子の死を見取ってからでありますように!)答えのない問いを発し続けながら歩み続けるでしょう。でもシスター、今日も地球上のいたるところで救いを求めているたくさんの人たちのため、そして次代を担う子供たちのため、それぞれの場と力量に精一杯応じて、最後まで良き戦いを闘い抜きましょう。お元気で!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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ある修道女への手紙 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

    Tallon4を検索して7枚の写真を拝見しました。改めて震災による自然の驚異と、それに対し人間はじっと耐えながら死者の鎮魂を祈り、祈ることで生かされた自分の魂も癒されていくのでしょう。「日本におけるスペイン研究の一時代」の中で、先生は生と理性(合理性)について言われていました。祈るということは理性から来るものではなく、人智を超越した何かに生かされている人間の生の根源から必然的に生まれて来るものだと私は感じます。文学がビジネスになってしまったと言われ、芥川賞の選考委員を辞任された安岡章太郎氏のことを思い出しました。今の時代は学校も一つのビジネスなのかも知れません。しかし、ビジネスという理性で割り切れないものが人間が生きるということだと私は思います。先生の著書は、そのことを静かに語られたものであり本を贈られた意味もそこにあるように私は感じます。また、それは先生の言われるとおり「答えのない問い」なんでしょう。

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