隣りのコメント欄で阿部修義さんが「謦咳(けいがい)に接する」という今ではめったに目にすることのない言葉を使っている。さすが阿部さん、「三題噺」で私のいちばん言いたかったことを分かってくれた、と感じ入った。
私のごく狭い範囲のことからの推定だが、いま社会のいたるところで失われてしまったもの(と過去形で言わなければならないのは悲しいが)それは親と子、目上と目下、先生と生徒、先輩と後輩など長幼の序をわきまえた折り目正しい関係ではないか。体育系の世界には滑稽なほど誇張された形で残ってはいるが、それとて実に狭い範囲・時間内でのことであって、一歩外に出たらその反動で傍若無人の振る舞いに及ぶ可能性がある。たとえば先日遠征先の韓国で起こった高校サッカー部員の集団万引きのように。あるいはもっとゆがんだ形では中一の男の子の惨殺事件のように。
恩師という言葉を聞いてこの私にも何人かのお姿が即座に思い浮かぶが、今回は故・神吉敬三先生のことを話したい。私が初めて先生にお会いしたのは、先生がスペイン留学から帰国されて最初の学生としてであった。ウナムーノやオルテガのことを知ったのも先生の講義を通してである。卒業後、私は広島のイエズス会修練院に入ったので数年間関係は途絶えたが、還俗後また先生にいろいろとお世話になった。それは単に翻訳の共訳者としてだけではなく、私的なことにも及んだ。私たち二人の婚前旅行(!)の途次、ご家族が奥様の実家(確か淡路島の洲本)に行かれて先生一人のところに押しかけて泊ったこともある。
先生は講演などで実にメリハリの利いた見事なスピーチをなさったが、そうした公的な場だけでなく、ちょっとした会合での即座のスピーチも実に堂に入ったものだった。私的な手紙なども(そのすべてを保存している)大きな男性的な筆致でそのまま本になりそうな格調高い文章を書かれた。またお会いすると、同僚や後輩たちの傲慢で不適切なふるまいを話題にされることもあった。正しい教師のあり方について実例を挙げての教えだったと思う。
謦咳とは文字通り咳(せき)・しわぶきであり、少し広げて笑い方・話し方のことも言うそうだ。ということは単に空間的な距離の近さだけでなく、精神的にも本音が聞ける近さにあるということであろう。つまり教えを受ける場での居ずまいを正してのものだけでなく、時には師の癖までも含めた常住坐臥、人間臭さに接しながらの師弟関係である。
その点、神吉先生は日常的な所作までもいろいろ指導してくださった。今も懐かしく思い出すのは、ある年の渡西の際、先生の推薦でマドリードの C. S. I. C. (高等学術研究院)の寮※に宿泊した時のこと。先生もその時、寮の一室で生活なさっていたのだが、あるとき先生の部屋を訪れ、便意を催したのでトイレを借りて出てきたとたん、入って先ず水を流して音を消すように、との注意。女性ならともかく男性が小をする時に音を消さなくても、と思ったが、不思議と反撥心が起きなかった。また別の時、先生に対するスペインの文化勲章に相当する賢王アルフォンソ十世章の贈呈式が大使館であるので礼装着用で出席するようにとの先生からの連絡。礼装など持ってないので、急いでぺらぺらの安い礼装を買って大使館にかけつけたところ、ほとんどの列席者は平服で、礼装は先生と私くらいだった時のことを今でも懐かしく思い出す。
※かつてガルシア・ロルカなどが学んだ学生寮跡にある。Pinar 16 という地番まで覚えている。あゝ懐かしい!
ふたつとも、言うなればちょっと的外れの「指導」だったが、先生に対する批判めいたものはまったく感じなかった。先生の日頃からの愛情を深く感じていたからであろう。私がまだ清泉女子大にいたころ、その頃できた筑波大学大学院の地域研究科の教員として推挙してくださったこともあった。小さな女子大教員から国立大の大学院教員という破格の抜擢だったにもかかわらず、結局その話は当方の家族構成(義父母と同居)による住宅事情のせいで謝辞しなければならなかったが、そのときも、先生は一切非難めいた言葉は口にされなかった。
私の方はそれからも静岡の私大へ、次いで八王子の女子短大へと、まるで世間の常識の逆を行くような転変を繰り返したが、何時も陰ながら応援して下さった。今でも「佐々木君、それはね…」という師の優しい忠告や教えの声が聞こえてくる。
長い回り道をしたが、先日の鄭さんと■へのエールも、つまるところそうした謦咳に接する師弟関係を構築していただきたいとの老教師の願いに発したお膳立てであった。そうした若者たちへの期待は、我が謦咳にいちばん接してもらいたい人はいま遠くに離れているが、いつか、私の生きている間、でも私が死んでからでもいい、この思いを分かってもらいたいとの悲願の延長線上でのことなんだろう。(失礼! さきほど飲んだ缶ビールのせいか、少し心乱れてしまいました)。
追記 ウナムーノ著作集第三巻『生の悲劇的感情』の訳者あとがきで、先生はこう記してくださった。
「また佐々木氏が、オルテガ・イ・ガセットとウナムーノという、二十世紀スペイン思想界の二大巨峰の紹介に非常な努力を傾注されていることは改めて紹介するまでもないであろう。その佐々木氏を、私が上智大学の教壇にはじめて立った時、学生の一人として持ちえたことは非常な幸運であった。ウナムーノの最高傑作というか、最大の問題作を今日こうして共訳することが出来、これに過ぐる喜びはないと思っている」。(合掌!)